先の日曜日、我が家では四半世紀ぶりの朝茶事が行われました。

 もっとも、前に書きましたように、我々が亭主をするわけではなく、Noさんが、年来やってみたかった朝茶事に挑戦するというので、我が家の茶室をお貸しし、妻が懐石方を引き受けた次第です。亭主は、半東を引き受けたWさん共々、いろいろ準備を重ねられていましたが、前日の午後一時くらいから二人で見えて、露地や腰掛、待合の掃除。点前道具は殆どををNoさんが、ご自分の道具を持ち込まれるので、そちらの面倒はないのですが、懐石道具は我が家のものを使われるので、押し入れの天袋から、仕舞い込んだままの朝茶事用の道具を出すのに一苦労。「四半世紀ぶりで、大丈夫かな」と、思ったのですが、私はすっかり忘れていましたが、妻の記憶では、初夏に、朝茶事ではなく正午茶事だったが、涼しさを出そうというので、使った覚えがあるというのです。それにしても、それも十五、六年前くらいで、久しぶりのことには間違いない。。黴臭くなったりしていなければ良いがと心配したのですが、幸いな事に、いずれも無事で、そう古びて変色もしていない。朝茶事の懐石用具は我が家では、杉木地の折敷、脇引盆、丸盆と、お決まりの籠飯器に金属製の杓子、それに、木地内朱塗りの湯次(湯桶)。表千家などでは朝茶事でカナイロ(金色)という金属製の湯次を使うことが多いはずですが、裏千家ではあまり用いません。この木地の湯次は、作った方は点茶用の水次として考えたのかもしれませんが、小型でちょうどよい大きさなので、湯次で使っているものです。それと、ガラス製の小吸物椀で一揃い。四つ椀は通常のもの、煮物椀は黒一色の亀甲椀にし、向付はガラスの皿にしようという事に。朝茶事は焼物を出さない決まりなので、薦め鉢に古萩の鉢を用意し、香の物鉢はご亭主が持参されたものを使う事にして、準備完了。ああ、八寸を用意していなかったと引っ張り出して、懐石用具を全部洗って拭き、乾かし終わったのは夕方。露地、茶室、寄付き待合の準備もその頃終わり、ご亭主方も帰宅。懐石方の妻は朝四時に起きるというので、九時には寝床に入ったのですが、なんということか、深夜一時に天井裏で凄い物音。飛び起きましたが、どうやら天井裏に潜む鼠を何処から忍び入ったか、野良猫が襲撃したようで、悲鳴と天井が抜けるかと思うほどの騒ぎが一分弱続きました。おかげですっかり目が冴え、一睡も出来ぬまま、寝過ごす事なく午前四時に。四時半には、日曜で休みの娘がサポート役に来て、火の準備。四時四十五分には、徒歩圏内の半東さんが現れ、ご亭主も始発電車で、五時十分過ぎには来宅。席入りは六時半の約束なので、十分間に合います。

 今回のお正客が、ひさしぶりに東京に見えたのを、歓迎の茶事という趣旨。次客には、先日の惜春の茶事で半東を務められたSaさん、お詰には、その前に半白の茶事を催されたNさんが入られ、お二人にとっては、二週間ほどの間の茶事ラッシュになったわけで、まことにご苦労様な事です。三客には、茶の湯を始めて、まだそんなに日が経たぬ男性のFさんが入られました。Fさんは、こちらで和服に着替えたいというご希望なので、六時に我が家に見えて、裏で着替えを済まされ、十分前に「では、表門の方に回って、門が開いていたらお入り下さい」と、送り出そうとしたら、半東のwさんが慌ただしく来て「Fさん、もう皆さんが、門の前に整列されていて、私が門を開けに行くと顔が合っちゃいそうで困るから、皆さんに言って、門の前からちょっと外れて。そしたら、私、門を開けるから」と。前回書いたような事態は、どうも起きてしまうようで、この辺は困ったものです。Fさん、まごまごしながら出てゆかれましたが、どうやら無事に行ったらしく、定刻前に開門、お客様席入りとなり、朝茶事の幕が上がりました。

 続きは次回に。

    萍亭主