茶事をやるたびに、少し不思議に思うことがあります。

 我が家で茶事をした時の経験なのですが、例えば、午前十一時においで下さいと案内を出した場合、定刻より少し前に、門の手がかりを開けておくわけですが、そうすると、お客様が、全員ゾロゾロと連なって入って来られる。つまり、バラバラに来られるという経験がほとんどないのです。これがどうも少し不思議です。茶事では、客は、まず寄付き待合に入ります。ここでちょっと余談ですが、厳密には、寄付きと待合は別なもので、寄付きは荷物を置き、足袋を替えるなど身支度を整える場所、待合は、客それぞれが待ち合わせをする場所です。構造上、寄付きと待合を別に設けられる家が少なくなって、玄関が寄付きに兼用されるとか、待合が寄付きを兼ねるのが普通になって、面倒臭いので、単に寄付きというと待合の意味に使われることも普通です。実は私もいい加減に使っていることも多いんですが。さて、昔の東都茶会記などを読むと、客は、その待合に三々伍々集まって来て、久闊を叙したり、今日は宜しくと挨拶を交わしたり、茶友の噂や世間話をしたりして、寛いだところへ、亭主側から白湯が出される。本席へ向かう前のいいウオーミングアップになるのですが、駅などで待ち合わせて一斉に来るとなると、門前到着前に、挨拶やら世間話は済んでしまうので、いざ門内へと一同緊張した状態になって入り、待合の中はシーンとした状態になるわけです。それに、入席指示の時刻より、皆様どうも早めに集合する傾向がある。大寄せ茶会のように早く行かないと混むというので、定刻より三十分も早く行く癖がついているのか、茶事に遅れるのは大変失礼と教本が書くからか、交通機関が当てにならないからなのか、とにかく、皆さん早目に集合する。我が家は茶事の時、最初は定刻五分前に門を開けていたのですが、そうすると、もう皆様が門前に整列されていて、目が合いそうになったりするので、今では十五分前に開けるようにしているのですが、それでも皆様、すぐゾロゾロ入って来られる。前述のように森閑としているので、白湯も早目に出す気になりますし、茶事の進行自体が早くなる傾向があります。初めて来る場所でなければ、そうそう連れ立たなくとも道にも迷うまいと思うのですけれど。

 もう一つ不思議なのは、東都茶会記の時代には、待合で、客同士が相談して、そこで正客を決めるのが普通で、正客の譲り合いなども起きているのですが、社会的地位なり、茶歴なりで、大体暗黙の内に無事決まる。お詰も、亭主側で、それに相応しい人物を入れておくので、自然とそうなる。ですから、基本的に、亭主の出す招待状は、正客でも連客でも、平等に同じ文章で、当日の連客予定は書くものの、正客は誰ですから、貴方は相伴ですと書くものではないと思います。勿論、誰それが転居するので、送別の茶事を開きたいとか、誰の病気回復を祝って催したいと書けば、当然その人が正客とわかりますが、それでも、貴方はお相伴ですとは書かないものでしょう。ところが、聞くところによると、最近の教本では、茶事の招待状の文例として、正客をはっきり指定し、連客名も次客から詰まで肩書をつけるように指導しているとか。これはどう考えてもおかしい。稽古茶事の延長としか思えません。亭主が、正客だけに招待状を出し、誰でも三人連れて来て下さいと、客組を丸投げしてしまう場合はありますが、亭主の方で客の序列をつけるものではないと思います。余談ですが、利休が豊臣秀吉(つまり無茶苦茶偉い人)を茶事に招いた時などは、相伴は、秀吉の方で決めたか、少なくとも「誰それでよろしいでしょうか」と、秀吉の内意を伺ってから決めたことだろうと思います。茶事の客組というのも案外厄介なこともあります。

   萍亭主