前回の続きですが、今回の終活茶事も。どうやら無事に中立まで進みました。

 軸と花を取り替え、さて銅鑼をと思ったら、既述のように、いつもの所に掛けておらず、一騒ぎしたものの、どうやら無事に打ち終え、後座の始まり。花は、山芍薬を入れました。

(写真は、茶事終了後に撮ったので、ちょっと花が開いています)

 お客様が武者小路千家の方なので、何か官休庵好みの品を一点と思ったのですが、我が家には、真伯(官休庵二代)在判の吹雪があるだけ。それを薄茶に使おうかと思っていたのですが、後述のような事情で、それがダメなので、この花入を持ち出しました。武者小路千家中興の九代家元兪好斎の兄弟で高倉久田家の無適斎宗也の作なので、多少のご縁かと。お正客が喜んで下さいました。何故、吹雪が使えないかというと、妻が、濃茶器を茶入でなく、棗でやりたいというのです。侘びを気取る気持ちではなく、故幾夜庵主との思い出の品だからと。もっとも棗ではなく、その仕服が思い出の品で、以前、格天井更紗の帛紗を渡され、これで茶入の仕服を作ってくれと依頼され、作って差し上げた時、大きい出し帛紗だったので裂が余ってしまった。そこでお願いして、残りの裂で我が家の棗の仕服を作ったのだそうです。そういうことで、棗を濃茶入にすることになりました。ご覧になったお正客が「ああ、家のあの茶入の仕服」と、気がつかれ、話が盛り上がりました。

 棗そのものは、鵬雲斎在判の中棗。左近の塗り。茶杓は幾夜庵主に銘を付けて頂いた「末広がり」。去年、Tさんの傘寿祝いの茶事にも使いましたが、平成天皇の傘寿記念の正倉院展の記念品に、筒と銘を付けて頂いたもの。お客様達は、これを初めてご覧になり、「先生がそんなことをされたのは知らなかった」と、仰っておいででした。

 濃茶は、柳桜園詰の「鳳の昔」。甘くて美味しいと褒めて頂きました。茶碗は、高麗半使。我が家の品の中では、良い方のものと思っています。

   替茶碗は、対州御本。対馬の宗伯爵家に、かって朝鮮釜山の倭館で焼かせた品が、未使用のまま、沢山眠っており、戦前、売り立てられた品の一つで、箱に「宗家対州窯」の印があります。

  濃茶一巡して、釜の沸えも良いので、続き薄茶となりましたが、続きは次回に。

    萍亭主