前回の続きですが、終活茶事第七弾は、曇り空ではありますが、幸い雨も降らず、そう暑くもない日に行いました。

 実は茶事の翌日、東京は大荒れの天気で、豪雨強風、桜が一気に散るという天候で、やれやれ、お茶事が昨日で良かったと胸を撫で下ろした次第です。茶事当日は、外は桜満開の状態で、これで茶席の中に、花だの桜だのの趣向をいっぱい持ち出すのも気が引けますし、かといって、季節感ののない堅い席も困る。バランスの取り方が難しい。まあ、思うようにはいかないのが道具組です。

 とりあえず、玄関には、故人幾夜庵主を偲ぶ気持ちをやはり出しておこうと、追善の気持ちを込めて、定番ですが、経切を掛けました。丁度娘が鎌倉の光明寺だかで、枯れ蓮の恐ろしく長いのを貰ってきたので、遊び心に、傍に立てて見ました。

 寄付きは、終活茶会の定番通りで、ただ、白湯は桜の塩漬けを入れず、自家製の春蘭でおもてなし。腰掛けに出ていただいて、さて、迎え付けは私の役目なので、型の如く手水を使い、中門に向かったら、お客様は皆、つくばって迎え付けを待たれています。そうです、裏千家は、主客共に、立ったまま礼を交すのが迎え付けの作法ですが、武者小路千家は、つくばうのです。このやり方の流儀の方が多いかもしれません。このところずっと、同門の人との茶事ばかりで、先日の織部流も立礼なので、すっかりそれを忘れていて、慌てて、しゃがんだのですが、よろめいて、我ながら格好悪い。ともかく無事席入りも終わり、点前役の妻と並んでご挨拶。妻は、今日は、故人の形見分けとして頂戴した着物を初めて着用、勿論、正客のご当代もすぐ気がつかれて、ひとしきり思い出話に花が咲きました。

 床の軸は「春月」の題の和歌。「隅田川川上遠く青柳の煙に霞む春の夜の月」が、漢字と仮名交じりで書かれ、非常に正式の懐紙の書き方ではありませんが、最後のの一行三字だけは、正式に万葉仮名で書かれています。筆者は、七卿落ちの一人で、伯爵、維新後は枢密院副議長だった東久世通禧で、茶の湯の方では宗徧流で、明治期、和敬会(十六羅漢会)のメンバーで活躍した人です。肩書が正二位とあるので、明治になってから書かれたものだと思います。ひとしきりして、炭点前。

  香合には、隅田川焼の都鳥を使用。古い物で、この手のいわゆる本歌です。

  釜は、このところ使っている奥平了保作(大西浄中極め)の刷毛目釜を使ったのですが、目利きのお客様達が大変誉めてくださり、摘みがクチナシの形をしているところや、釻付の鬼面まで賞翫されて、釜としてはありがたいことです。形の如く、吸物八寸で一献。今回は吸物は蛤を使い、八寸はカラスミと空豆など。終わって虎屋製の「つくし」の菓子をお出ししました。

 蓬餡で、つくしの穂先を罌粟で作ったところがアイディアのようです。無事中立となりましたが、続きは次回に。

   萍亭主