茶名とは何か?茶の湯をおやりの方は、何の不思議もなく、茶の湯の時に使用する名前だと認識されているでしょう。

 それに間違いないのですが、茶道大辞典などを引いてみても、何の解説もありません。飲むお茶の「茶銘」の項はありますが、茶名はありません。一般の辞典でみると「茶道で家元から授与される名前」とあります。その通りなんですが、一体いつ頃から。こういう風になったのか、さっぱりわかりません。武野紹鴎だの千宗易など、通称の新五郎や与四郎じゃなくて、茶の湯の方で使うんですから、茶名と言ってもいいのかもしれませんが、しかし、これは、大徳寺の坊さんから、得度、正式に仏教徒となった証に貰った法名(法諱)で、本来は茶の湯とは関係ない。小堀遠州の宗甫でも、片桐石州の宗関でも、ちゃんと参禅して、坊さんから貰った名で、茶の湯の師匠から貰ったわけじゃない。いつ頃から「宗」の字がつく名前を家元から貰うようになったのか、その初めは誰なのか、私には謎です。

  原点に戻って整理してみると、今の裏千家の家元は、今日庵千坐忘斎玄黙宗室が茶の湯で使う名、本名(戸籍名)は千政之のはずです。千は姓ですが、今日庵は庵号、本来、使っている(住んでいる)茶室の名前のわけで、これは別に家元以外名乗ってはいけないというもんでもない、ただ家元などから命名してもらった由緒があるか、自称かの違いがあるだけです。坐忘斎は斎号で、これも歴史的には、禅僧が自分の書斎に呼び名をつけたところから始まったとも聞きますが、ともかく、家元の斎号は、坊さんや貴人から貰う例が多く、家元以外だと、かなりの上級茶人でないと名乗らないようで、名乗る時は、家元から貰う場合か自称かの割合は、私にはわかりません。玄黙は号で、これも禅僧の道号から由来していて、一人前の禅僧は、一休宗純のように、道号と法諱両方を使用するものですが、家元の場合、斎号同様、誰か偉い人から貰い、上級茶人でもないと滅多に名乗らないし、自称は多分、ないのじゃないかと思います。宗室が、一般の茶名に当たるわけで、この茶名だけは、絶対に自称は出来ない、家元から頂くものという決まりになっていますから、普通に茶の湯をやっていて、茶の湯の世界で名乗ってもよいのは、これだけが頼りということです。それ以外は名乗ってはいかんというルールはないはずと言って、茶名なしで撫松庵面独斎亜寒と庵号斎号道号を自号したって構わないのですが、茶人としての内実が伴わなければ名乗るのも気恥ずかしいでしょう。ちなみに、近代数寄者の使った鈍翁、化生、耳庵など、皆、風流号で茶名ではありませんが、こういう実力者は、茶名なんかなくとも(忘れられていても)、茶人と認識されますが、一般は、茶名を名乗らないと、茶人臭くないということも現実です。そこで

長く茶の湯をやってくると、茶名を名乗りたくもなりますし、茶名があることで、一人前の茶の湯者の証明にもなる。茶名を名乗ることで、茶の湯に対する自覚が生まれ、技量が上がり、その人の茶の湯の境地が進むということはあるのでしょう。ついでですが、茶名を宗名(そうめい)とも言う人もいます。しかし、茶名に「宗」の字を付けるのは、千家系や他にも多いですが、違う字を使う流派も多いので、やはり、茶名とだけ呼ぶべきでしょう。余談ですが、昔ある席で、突然「あんた、ソーメイお持ちですか?」と尋ねられて、はて、愚鈍で聡明とは縁がないが、と狼狽えたら、茶名のこととわかって苦笑した覚えがあります。

 つまらない話が長くなりました。今、何故茶名の話をかは、次回にご説明を。

     萍亭主