茶席の掛軸で、字のものと絵のものを兼ねた分野のものは画讃です。

 画と讃を同一人が書いたのが「自画讃」で、画と讃の筆者が別なら、ただ「画讃」と呼ぶわけですが、どちらの方が多いかというと、案外、自画讃が多いかもしれません。讃の内容は、禅語でも和歌、狂歌、俳句でも、漢詩の一節でも、短い文章でも何でもありで、いろいろです。讃を書くというのは、字の全ての軸同様、筆者は茶人とか僧侶、公卿その他有名人が有資格のわけですから、そうなると、自画讃は、絵心がないと絵の方は描けませんから、筆者は自ずと限られてくる。画も細密な本職の絵のようにはいかないから、禅画とか俳画と呼ばれるような、あっさりした墨絵が多く、彩色画はあまりなく、あっても簡略な彩色がほとんどです。自画讃の筆者というと、古いところでは一休和尚とか居ますし、大徳寺僧侶や宗旦以降の千家系家元などもやっていますが、正直、絵の方はあまり上手と言えるかどうか微妙です。自画讃で、独特な人気があるのは、出光美術館が収集して有名な仙厓和尚や、今の臨済宗全派の祖である白隠禅師、近代に脚光を浴びた良寛和尚などで、いずれもその奔放で自由な画題、画風や、平易で個性的な讃の文句、その飄逸さが大いに評価されるのですが、飄逸さを軽いと取られるのか、シュールな強烈さが、現在の茶の湯には、十分には受け入れられないでいるように思えます。

 画と讃が別人の場合、画が本職が多いので、見どころもあり、細密な画もあるのですが、やはり茶席に掛けるものなので、あまり濃密な彩色の絵は多くなく、例えば狩野派でも、余白の多い墨絵のようなものが多いようです。讃は、一人でするのが普通ですが、複数人であれば珍重されます。沢庵一人の讃よりは、沢庵、江月両人の讃がある方が喜ばれるわけで、国宝の「瓢鯰図」のように三十一人もの讃があるのは異例としても、三人以上も讃があれば

それは希少です。讃の作者の方が、大事にされ、讃の筆者が有名なら、画家はあまり問わないとは言え、狩野探幽の画に小堀遠州の讃とか、松花堂昭乗の画に沢庵和尚の讃のように、讃も画も筆者がビッグネーム同士であれば、勿論大変喜ばれます。油断出来ないのは、ただの絵だけよりは讃がある方が、茶掛として売りやすいので、余白の多いことが通常の狩野派の絵に、適当な有名人の讃を入れた贋作があったりすることです。画が、それなりに時代色があるので、騙されそうになります。実は私も一度引っかかりそうになったことがあります。有名人同士の出会いが喜ばれるので、らしい組合せの贋物もあります。春屋和尚が狩野探幽の画に讃した軸があったそうで、同じ江戸前期の人でいかにもありそうですが、よく考えると、春屋が死んだ時、探幽はまだ十歳で、これはあり得ません。ちゃんとした知識を持っていないと、騙されるものです。

 しかし、画讃は、どちらかというと、画と同じ位置に扱われて、画が唐画など一部を除いて、本席ではなく、寄付きか薄茶席に掛けるもんだとされるように、軽いものだと認識されがちです。画讃も本当に少数、唐画に中国の高僧が讃したものがあり、それなどは本席に掛けられるとしても、他はそうでない。考えてみると、同じ「桃花咲春風」の文句が、一行ものだと本席に掛けるのに、雛人形の絵に讃した軸だと、「寄付きか薄茶席用」と言われがちなのは、茶の湯の不思議な慣習でしょうか。もっとも、大寄せばかりで薄茶席だらけの昨今、画讃にとっては、どうということはなく、分かりやすくて便利だろうと、自画自賛しているかもしれません。

   萍亭主