前回の続きですが、O先生のお宅の茶室「貧窟」に席入りすると、すぐに先生は点前に掛かられました。

 壁床には「楽」の一字が書かれ、小書に「楽は苦の種、苦は楽の種」とある長幅が掛かっています。「今日は、いろいろ楽をお目に掛けたいので」ということ。軸は御祖父の筆で、竹の花入、銘「一華開天下春」も同作。花は紺侘助。丸炉には、西村道爺作の達磨堂四方釜が釣ってあります。侘びた四角い感じが、丸炉と抜群の取り合わせ。後ほど拝見した釣り手が徳元の作で、中途から折れ広がるようになった特殊な造りで、巾の広い四方釜が楽に釣れるようになっています。炉と並んで置かれた丸く大きな堂々とした水指は、なんと楽道入、ノンコウの作。「ご夫妻だから、飲み回しにしていいのだが、コロナ後は、こういうふうに濃茶をやっているという事をお見せしようと思いまして。私もお相伴します」というご挨拶で、大きな主茶碗で、三人前の濃茶を練られ、竹柄杓で、それを他の二つの茶碗に汲み分けられました。茶巾は使わず、一回ごとに使い捨ても紙茶巾で処理して、建水下に置いた紙袋に捨てます。お茶は甘くて美味しく、味岡松華園詰の珠光の昔とのこと。主茶碗は、飲み口が直線で、あとは丸い歪んだ形の大きい赤楽で、金繕いがかなりありますが、侘びたいい感じです。道入の弟道楽の作で、無印ですが、覚々斎原叟の箱という、実に珍しいもの。勿論、道楽は初体験です。替が小さいやや筒形の、赤でも飴でもなさそうな楽と思ったら、萩の樂写しという、これまた珍しいもの、三輪家あたりの作った古いものでしょうか。拝見した茶入は思い切って細長い形の、木の蓋のもので、箱には長茶入とあるという事でしたが、八代大樋宗春作。茶杓は田中仙樵作の銘「春風」で、筒に「待月代作」と書かれており、これはかって、この家に仙樵夫妻を招いた時、仙樵自身が来られなくなり、妻の待月にこれを持参させて贈った茶杓なのだそうです。「炭をしなかったので」という事で、ここで後炭をされましたが、香合を使われ、それが、私の母の十三回忌の配り物に差し上げた唐津香合を使われてるというご馳走振りでした。大きな鉄鉢に入った和三盆の干菓子で薄茶を頂戴。主茶碗に濃茶相伴に使われた茶碗を出されましたが、これが黒と赤のかたみ変わりになった品。四分の三ほどの黒い部分は一入の作で、赤の部分は了入の作で隠居印が内部に捺してあり、旦入が「一入作、父補」と箱書している、これまた大珍品。替茶碗は黒楽ですが、これも了入の本体の一部を慶入が補作しているもので、官休庵の宗屋(一指斎)の箱。茶杓は御祖父作の「雁風呂」という季節の銘。薄器は、金林寺ですが、利休所持と覚々斎の箱という凄いもの、花押はないので、「稽古用でしょうか、七種類くらいの薄器が揃っていたらしいが、全部あるわけでなく、いくつか欠けているんで」というお話ですが、それでも凄いものです。薄茶の時は、奥様も相伴に入られ、和気藹々と話が弾みました。やがて、広間に戻り、果物の饗応があり、箱書を拝見し、「茶の湯はやはり常に創意工夫が必要で、慣習だけを大事にしてはならない」という先生の持論などをお伺いしながら歓談。四時過ぎになり、お暇いたしました。本当に久しぶりの茶事で、大満足の一日でした。

     萍亭主