茶事を終え、一日休養してから、もう一度、露地、茶室を掃除し直して、茶会の準備。終活茶事第五弾で、今度は、喜寿のお祝いです。

 知友のYさんは、妻と最もお付き合いの長い方のお一人で、元々は茶花教室で知り合い、もう四十年近いお馴染みです。しかし、いろいろ病気もされて、一時は茶の湯も休まれていた時期もありましたが、数年前に快癒され、又よく顔をお見せになるようになりました。今年、めでたく喜寿を迎えられたので、妻としては、自分も元気なうちにお祝いをという気持ちで計画した次第です。前日、正客とも親しく、半東役を買って出て下さったT女史が、菓子屋にお菓子を取りに行く行ってくださるなど、お手伝い下さったおかげで、割と早めに全ての準備完了、当日、午後1時の席入りを迎えました。連客は、Yさんのお弟子さんとご友人、お詰に共通のちじんのHさん。幸い、風は強いものの、天気は晴れで、気温も暖かい。腰掛けで木漏れ日を楽しむゆとりもあるので、迎え付けも多少ゆっくりとし、のんびり席入りしていただきました。

 今日の軸は、喜寿を祝う心で、「喜」の一字。大正時代の建仁寺管長竹田黙雷(宗淵)の筆です。黙雷和尚は、左辺亭と号し、茶僧という異名があったほど茶の湯好きでした。多くの茶人と交遊しましたが、大日本茶道学会の創始者田中仙樵とは、特に親しかったそうです。実は、我が家の茶室の扁額を書いたのは、この和尚さんです。和気藹々とご挨拶もすみ、炭を入れます。

 香合は猪。お正客の干支を当て込みました。裏千家十三代円能斎の在判で、作は初代の久世久宝です。炭手前、吸物八寸で一献と、順調に進行、お菓子を差し上げる段取りに。お箸は、紅一色の饅頭にし、白い器で、紅白のつもり。お菓子を取り切ると、器のそこから「喜」の字が現れる趣向。

 菓子器は、鎌倉の陶芸家河村貴史の作。菓子の金粉は我が家で振りかけました。終わって中立。後座の床には掛け花入を。野崎幻庵の作です、「小堀遠州旧居の竹を以て造る」とあるので、近江小室の陣屋跡の竹で作ったのでしょう。銘を「伝芳」と付けられています。花は、卜伴椿と貝母、ちょうどうまく咲いてくれました。

 点前道具は、祝賀の意は同じで、季節も同時なので、前回茶事のものを殆ど踏襲。実は、長年のお付き合いのYさんは、我が家の隅々まで知り尽くしておいでで、茶道具も殆どをご存知、何をお出ししても、ご覧にいれた品ばかりとなるのが、悩ましいところではありますけれど、道具以外の面で楽しんでいただけるかが亭主側の力量でありましょう。昔の茶人は同じ道具で同じ客を違う時節に招くことが多々あって、力量があったのを示していますが、我々では覚束ない物ですが。

 茶杓だけは前回と変えました。病気がちだったお正客の今後の健康を願い、茶の湯を楽しまれるよう「清茶七碗得仙齢」の銘。大徳寺427世剛堂宗健の作です。かなりがっしりした雄渾な作りです。

 他は、主茶碗以外は、お見せしたことがあるものだと思いますが、正客は丁寧に鑑賞して下さり、「この黄伊羅保は、私の好きな茶碗で、これを出して下さって有難い」などとご挨拶を頂きいました。なお、干菓子は、長生殿と雛あられですが、前回、雛あられをお出ししたら、取りにくいか、皆様あまりお取りにならないので、今度は一人分づつ、蛤の殻に入れてみました。

  四時過ぎに無事終了、ベテランの半東さんのお蔭で、使い終わった道具は綺麗に片付いていて、翌日には、全部を楽に収納することが出来、連続の終活茶事も無事終了しました。

   萍亭主