この2月末の十日間は、怒涛のお茶づけの期間となりました。

 なにしろ、23日、26日に茶事を行い、28日には茶事にお招かれするという、六日間で三回も茶事というのは、実に実に久しぶりのことです。元々は、去年三回行った終活の飯後茶事を、今年もまだ体力が少し残っているから、今のうちに第四回をやるかという気分になって予定を組んだところへ、思いもかけず旧知のお茶人からお招きを受け、この事態になった次第。とりあえず、19日からの四日間を準備に充てたのですが、年々この準備も、やることに時間がかかり、押せ押せ状態になります。露地の掃除と、道具の準備は私が担当ですが、掃除は孫に手伝わせ、蹲の清掃など水仕事は孫を監督するだけで、冷たい仕事はパス。道具を出すのも、高い天袋から出すものは、少々危なくて、援軍を呼ぶ事態。これじゃ、いつまでやれることやらと心底思います。菓子の準備だけは、もう少し前に、吉祥寺の菓子屋に出掛け、打合せて発注したのですが、後で申し上げるような事情で、日本橋まで買い物に行かねばならず、バタバタした状態。前日に、半東をして下さるNさんが来て下さり、茶室の掃除と茶を掃くのをして下さったので、ホット一息ですが、変わってくれればと願った天気予報が、やはり明日は雨か小雪かというので、露地笠と露地下駄を出さねばという事態。ご高齢の客が多いので、露地下駄は危なかろうと、裏にゴムをつけた草履に変更。

 さて、今回のお客様は、ご主人が裏千家、奥様が江戸千家の茶名をお持ちの茶湯一家のTさんご夫妻、今年四月金婚式を迎えられるというので、その祝賀茶事ということでお招きしました。奥様のご母堂(故人)は、池之端江戸千家の重鎮で、ご自宅が我が家と同じ町内にあり、何度もお招きした間柄です。外国勤務から帰朝されたばかりだというお嬢様と、やはり江戸千家をなされている義理の叔母さまが御連客で、定刻一時に御来庵。寄付は、この終活茶事は、季節等に拘らず、これで行こうと決めている定番の飾付け。このブログをお読み下さっている方をお招きする可能性もあるので、寄付きの飾りはご報告しません。ただ、今回は季節も近いし、ご夫婦の金婚式を祝う意味も込めて、軸の下に、雛を飾りました。

 雨の中、腰掛けに出ていただき、迎え付けは私が担当、露地笠をさしての迎え付けは、これまたひさしぶりで、足元も覚束なく、我ながら格好悪い。お客様が入られ、妻と一緒に出て、席中でご挨拶。初座の床には、今日の祝賀と、今後のご夫婦の御安泰、御長命を願って「万歳」の横物を。

 筆者は、妙心寺派十八代管長大休宗悦です。野火止めの平林寺の住職で、当時有数の禅僧であり、大戦中、臨済宗各派を統括する管長職が置かれた時、第二代管長に選ばれました(ちなみに初代は方広寺の足利紫山、三代は天龍寺の関精拙でした)。茶の湯にも詳しく、東千家創立の後援者であったと聞きます。この軸は、昔、古田紹欣先生から「この人の横物は珍しいから大切になさい」と言われたことがありました。ご挨拶もすみ、炭手前にかかりましたが、この続きは次回にご報告を。

   萍亭主