先々回書いた「中途半端な面々」につき、「そりゃ、ちょっと失礼じゃなかろうか」というご意見を頂きました。

 その方のご意見では、「挙げられている天祐、江雪、江雲、翠巌など、皆、茶道辞典に載っている名前、つまり、辞典に載るほど有名人、少なくとも茶の湯世界で名が通っているわけだから、中途半端というのは、どんなものかな」というわけです。うーむ、まことにおっしゃる通りとも言えますが、まあ、私は感覚的な言い方で書いてしまったわけで、これも感覚的な言い方ですが、仮に、茶道具商で、沢庵や江月、清巌が、百万で売られていたとして(これはあくまで喩え話です。時代や状況よって三百万する場合もあるでしょうし、それ以下のこともあるでしょう)、天祐クラスは、六、七十万くらいでしょう。かといって、三十万以下になるとも思えません。つまり私が気安く手が出る値打ちでもない。玉舟あたりが、この中間の値段と人気かと思います。そして、やはり美術展や収蔵品展などには、どうも顔を見せない。そして、これも感覚的な言い方ですが、実際に茶の湯をやっている人が、たとえ辞典に載っていても、この人たちを知っているかというと、案外大勢が知らないと思うんですね。名前を覚えていても、どんな人か、あやふや。そこが一休、沢庵、清巌などと違うところで、私はその辺も含めて中途半端と言ってしまったんですが。

 さて、そういうわけで、又こういう表現を使うと、お叱りを受けるかも知れませんが「お手頃」なのが、江戸時代後期の大徳寺僧の軸でしょう。中でも筆頭なのが宙宝宗宇(ちゅうほうそうう)でしょうか。前述の喩えで言えば、三十万の市場価格でしょう。最近の実勢価格では、もっと安価だと思います。宙宝は、京都生まれで、芳春院を本拠とし、大徳寺四百十八世住持になりました。茶の湯に通じ、茶器を好みもし、この時代に出来た紫野焼(楽茶碗)の印の字を書いたのは宙宝だそうです。千家とも親しく、表千家吸江斎の参禅の師で、その号を与えています。松月老人と称して、その署名の軸も多く、何しろ総体的に軸の数が多いのです。他の大徳寺僧侶との合筆とか、画賛も結構あります。もしかしたら、江戸時代の大徳寺僧侶の軸としては、流通量が一番多いかも知れません。わかりやすい文句の一行物も多く、使い良いし、手にも入れやすい「手頃」さなのです。ただ、こういう発言をする道具屋さんもいます。「どうも宙宝は危ないものも多いのでねえ。ネットオークション覗いてご覧なさい、宙宝だらけですよ」。威勢のいい字ですが、贋作家には真似しやすい字なのかも知れません。事実、素人の私でも首を捻るものも見受けます。贋作が出るイコールそれだけ人気があるとも言えますが。

 宙宝の軸に関して、私はこんな思い出があります。昔、ある大寄せで、宙宝の軸が掛けられてました。「紫野宙宝」の署名で、「日々是好日」でしたか、分かりやすい文句でした。その頃、よく合い席した老功な男性の正客が、柔らかな口調で「お床は松月老人のお筆と拝見しますが」と挨拶の口を切ったのです。すると、女性の亭主がキッパリと「いえ、それは宙宝和尚の書で御座います」と否定したのです。その時のお正客の返事に困った顔が忘れられません。ご亭主は、松月老人が宙宝の雅号だということを知らなかったのでしょうが、正客としては、相手の無知を指摘も出来ず、行き詰まったわけです。大徳寺の坊さんは雅号を使うこともよくあるのですが、誰が何という雅号か、覚えているのもなかなか難しい。人によってはいくつか雅号を使い分ける人もいる。まあ江月の欠伸子、清巌の自笑、玉舟の春睡などと並んで、宙宝の松月はポピュラーな方かも知れませんが。茶席での挨拶は、あまり捻くった言葉は使わないほうがいいという教えがあったかと思いますが、この場合、茶歴の深い正客にとっては、そう捻ったつもりもなく、自然に出たのかも知れず、亭主たるもの、自分の使う道具の筆者については、よく知っておくべきとも言え、どう軍配を上げていいか迷ったものです。話が詰まらぬ横道にそれました。

  宙宝は、天保9年(1838)に亡くなっています。

    萍亭主