掛軸は、当たり前ですが、中身は、書か絵画に分かれます。その中間が、絵に書が添えられた画賛です。

 茶の湯の世界では、現状は圧倒的に書が幅をきかして、画賛はともあれ、本席に絵画が掛けられることは、非常に珍しいことと言ってよいでしょう。一方、寄付き待合に床の間があれば、絵画の軸を掛けることも多く、指導書などでも、本席の軸とダブらないように、そうしなさいと教えている事が多いようです。その場合でも、堂々とした立派な日本画の軸は好まれず、小品で、待合掛けと呼ばれるような、いわゆる瀟洒な感じのものが好まれます。この形式がいつ頃から起こったのか、江戸時代以前の会記は、待合にまで言及しているものがほとんどないので、よくわかりません。近代の茶会記を見ると、濃茶は小間で供するが、その後、披きの間(広間)に移って、そこで薄茶を供する、その席の床には、絵画の軸が使われているという例は、数多くあります。現状、大寄せ茶会隆盛で、寄付き待合がない、茶事が行なわれても、ちゃんとした待合がなかったり、また披きの間を使うような茶事は、まずありませんから、絵画の軸が使われるケースは、ますます少なくなっていると言えます。本来、茶の湯で絵画の軸を使ってはいけないというルールはないわけで、前回書いたように、室町時代の座敷飾りには、唐画(中国画)が主役ですし、侘び茶の世界になっても、小間の本席でも唐画が用いられたことは、津田宗及や松屋久政などの記述にあります。茶の湯の世界で、書の方が画より優勢になったのは、やはり禅との結びつきが強調され、禅的な教養を身につける手段としては書の方がわかりやすかった故でしょうか。そう言えば、画も禅の故事に関する主題のもの(寒山拾得図とか六祖破経図とか)が喜ばれた傾向もあるようです。

 いずれにせよ、近代数寄者のように、薄茶席に絵画を使うという例は、もっとあってもよさそうに思うのですが、現実にはなかなか遭遇しません。私の経験では、四回ほどあって、伊藤若冲、田中訥言、横山大観、それに雪舟(失礼ながら、本物かしらと思ったものですが)の絵が掛かった席に入った事があります。他は墨絵でしたが、横山大観の絵は、極彩色の鯉の絵でした。それを見た時、え?と意外な感じがして、ちょっと違和感を覚えたことは確かです。つまり、その頃の私の固定観念の中に、本席に絵画を描けるの?ということがあったせいで、実は絵画が用いられない要素は、案外、長い慣習から来た固定観念にあるのかもしれません。華やかすぎる、あるいは、主題がわかりやすすぎるという絵画の特性が、どうしても茶の湯と合いにくいという論もあるかとは思いますが、わかりやすい色絵陶器などが多く使われる昨今、広間中心の茶になりつつある現代、絵画がもう少し幅をきかせる時が来るのか、それとも長い伝統は変わらないのか、私にはわかりません。掛軸どころでなく、額縁のルオーの絵を掛けた茶会があったと聞いた事がありますが、一度の実験だけで、その後その席主が、同様な試みをしたとも聞かないままです。

   萍亭主