今年の我が家の初釜は、濃茶薄茶両席とも、床は珍しく、茶の湯に縁の薄い人の軸がならびました。

 茶の湯で最も大切な品は、床の間に掛ける軸であるとされます。軸とか掛け物、掛軸などとわざわざ言わなくとも、「おとこ」というだけで、それを指すことは、茶の湯仲間では周知のことです。道具屋さんなどでは、茶会に使えそうな掛軸を「茶掛」と表現したりしますね。大切だという理由は、軸によって、その茶会の趣旨、主題が表現されて、格式も定まる、茶会を開こうと思ったら、まず軸を何にするか決めて、その軸に合わせて、道具組を考えてゆくのが本来だと言われます。茶の湯の稽古を始めると、お辞儀の基本、真行草のお辞儀の仕方を教わるのと同時に、床の間への拝礼、拝見の作法を習うだろうと思います。何故、恭しく軸を拝礼するんだという理屈ぬきに「そうするもんだ」で、済ませている場合も多いと思いますが、理由づけとしては 、私は昔々に次のように教わりました。「軸に向かって拝礼するのではなく、その軸を書いた人、つまり徳の高い人や貴人、お家元が、そこに座られているという心で拝礼するのだ。だから、後座で花を拝見したり、点前座を見るときに、花や釜にお辞儀をする必要はない」。じゃあ作品は立派でも作者が無頼の人間(芸術家は、作品は優れていても、私生活は感心出来ないなんて、よくあります)で、お辞儀したくなければどうする、と屁理屈を捏ねたら、そういうような人のものは、茶の湯では使わないから、と言われましたっけ。ともあれ、茶の湯が禅と結びついて、床に禅僧の書が掛けられるようになり、その筆者は高徳の僧侶だったり、自分の師僧であったりする関係から、前記のような精神も生じたのでしょうが、一方、室町時代の書院茶の湯では、美術鑑賞の観点から、座敷飾りには、唐画と呼ばれる中国の絵画などが盛んに飾られたわけで、そのときに床に拝礼する作法があったのかどうか。将軍など高貴な身分の人の持ち物だというこたで敬意を払ったかもしれませんが、軸の作者に敬意をはらったかどうか。つまらないことを考えるとキリがありませんが、軸というものが茶の湯に占める位置は、やはり大きいと言えます。

 考えてみると、このブログでは、今まで、蓋置や建水など脇役の道具について整理してみた事はありますが、茶席の主役の軸について考えたことはありません。学識のない私が云々するのもどうかなと思いますが、軸というものについて、暫く素人なりに考えてみようかと思います。

 続きは次回に。

     萍亭主