災害で明けた今年は、どんな年になるのでしょう。

 北陸の災害は、まだ詳細が知れないところがありますが、今わかっているだけでも、心の痛む状況です。私は能登に、若年の頃と十年前とに、二度訪れたことがあるのですが、あの古い建物や、美しい風景はどうなってしまったのでしょう。總持寺は回廊が全壊し、本堂も大被害と聞きましたが、時国家や国泰寺はどうなってしまったか、一向にニュースが聞こえてきません。焼けた輪島の朝市の周辺には、沢山の輪島塗の店があったと記憶しますが、これから先の輪島塗の将来が心配です。被害は能登にとどまらず、高岡の国宝瑞龍寺でも石灯籠が倒壊し、本堂に被害が出たとか、金沢でも大樋焼の窯場や展示場に大きな被害があったと仄聞します。大樋焼美術館はじめ金沢に数ある美術館の収蔵品は無事なのか不安です。元日の夕方という特殊な時に起きた災害ですから、茶の湯をされていたという御宅はないだろうと思いますが、茶どころの金沢では、元日の大福茶の後、炉に火が入ったままという御宅があったかも知れず心配なことです。

 考えてみると、茶の湯は災害に弱いものです。脆弱な狭い空間で、火を使い、壊れやすい道具を弄んでいるのですから、茶事の最中に災害が起きたらと想像すると、ゾッとします。大正十二年九月一日に起きた関東大震災は、茶の湯の盛んな時代でもあり、良い季節の正午ですから、茶事の最中という家も、きっとあったろうと思うのですが、記録で読んだことはありません。この震災で、藤堂家の蔵などが焼失し、幾多の名物茶器が失われたという記録が残りますが、一般の茶室や、普通の茶道具の被害については特に語られてはいませんけれど、甚大な被害だったと想像します。この時、京都でも大きな揺れを感じ、おりから行われていた八坂神社献茶会の添え釜席の書院から、客も点前方も一斉に 逃げ出したそうで、後で「日頃、茶人は沈着冷静などと言いながら、なんてザマだ」と部外者から笑われたという記事は、読んだことがあります。しかし、いかなる事態にも驚かないのが禅の悟りの境地と言いますが、茶禅一味と口では言っても、そこまで達している茶人が果たしているか、素直に考えれば、茶の湯は、やはり平時、閑雅な時のもので、災害とは無縁なものなのでしょう。利休の逸話に、家が火事で焼けた後、平然と焼跡で茶の湯を催し、人を感心させたというのがありますが、利休だからいいようなものの、仮に、被災直後の地で、茶など振る舞ったら、そんなことをする暇があったら、生活物資を運べと非難されるでしょう。災害続きだったろう戦国の世で、一刻の平安を求める境地として、茶の湯が重視されたこともわかりますが、現代では通用し難い環境です。出雲の武家茶人(たしか荒井一掌でしたか)の逸話で、茶事の最中、近所で火事が起きたが、慌てず茶事を続けて、火が迫っても薄茶まで済ませて、それから立ち退いた、人々はその沈着さに感嘆したというのを聞いた記憶がありますが、これも現代のモラルでは、受け入れ難い行動でしょう。

  萍亭主