来年のカレンダーが届きました。淡交社製作のもので、裏千家の門人である娘のところに届いたものです。

 「京菓子12か月」と題されて、各月綺麗な菓子の写真が載っている。ちょうど菓子についてブログを書いていたので、これも何かの縁かと、めくってみました。写真の菓子は、全部、同じ木地のヘギ板の菓子器に載っていて、菓子の綺麗さが引き立っています。これが、いろいろな菓子器に載せたら、器に目が行ってしまうかも知れないということを考慮されたのでしょう。参考までに、一月から列挙してみると、松の雪(金団)、春想う(薯蕷)、春寒(こなし)、桜(和三盆)、あやめ草(薯蕷煉切)、滴水(葛)、海(ういろう)、おもいで(道明寺羹)、菊日和(羽二重)、雁渡る(焼き皮)、山の暮(金団)、 埋み火(黄身しぐれ)と、いかにも季節らしい銘が付けられ、趣向を凝らした形になっています。ちなみに八月の「おもいで」は、西瓜の形をしています。撮影協力塩芳軒とありますから、全部、京都西陣の同店の制作なのでしょう。こういった、いかにも華やかで、季節らしい銘の付けられた菓子は、大寄せの広間の茶が主流だった昨今、昭和五十年代あたりからの流行でしょう。菓子の銘でも、季節や趣向を感じさせようという茶風になっていると言えます。京菓子は、上品で雅なものとして、江戸時代、江戸では、下り菓子とも呼ばれ、元禄時代からすでに数軒が江戸に進出して、江戸の菓子に大きな影響をあたえたといいます。「上菓子屋」と呼ばれた高級菓子は、特にその傾向は強かったでしょう。戦後、東京では京料理の進出と共に、京菓子も東京で珍しくなくなりました。やがて流通が向上し、宅急便などが定着してから、京菓子だけでなく各地方の銘菓も、東京の茶会に顔を見せるのが珍しくなくなりました。

  話は違いますが、今、茶会の会記を見ると、菓子の項は、銘と製が必ず記載されていて、例えば「淡交」に収録されている淡交会や一般の会記でもそうですが、今から五十年以上前は、様相が違ったようです。昭和41年の淡交会関東地区大会や、昭和42年の東京地区の初釜などの会記を見ると、菓子器の記載はあるものの、肝心の菓子の記載がありません。器も含め記載のない例もある。昭和40年代は、菓子の名前の記載はあっても、製(店)も名前の記載がないのが珍しくありません。つまり、あまり重要視されていなかったとも言えます。現在はどんな会記でも、きちんと書かれるのは、会記の書き方が制度化され、流儀により浸透された結果でもあるでしょうが、菓子も菓子屋も地位が向上したともいえなくもないでしょうか。

 さて、今日はこれから、子や孫、ボランティアの人たちと共に、茶室も含め大掃除の日、来週は、七度目のコロナワクチン接種や健康診断などが待っています。気忙しくもあり、来年のカレンダーも届いたことではあり、今年は、これでブログを店仕舞いにいたします。来年、何か話題があるといいのですが、ともかく皆様、良いお年を。

 萍亭主

 

   追伸  一昨日出した「江戸の菓子事情」が、一部尻切れで配信されたところもあったようで、とりあえず直したつもりですが、失礼しました。