大寄せ茶会の評価の大きな部分を占める、良い道具とは何を指すか?

   道具個体の価値を、どう評価するかは、客個人個人の好み、茶風により違いはあると思いますが、道具個々の価値ばかりでなく、他の道具との組み合わせで、その評価は大きく変わることがあります。単独で一つ一つを美術館のガラス越しや、美術店の店先で見るのと違い、茶席での他の道具との取り合わせで、その評価が変わるのが茶の湯の面白さでしょう。「あれだけが惜しかったね」とか「あそこだけ違うものの方が良かった」というような評価がされるのは、道具組の失敗の結果で、他の道具との組み合わせとの問題だけでなく、「いい道具なんだが、この茶室とは合わないんじゃないか」とか、「いいけど、いまいち季節に合わないんじゃ?」とかいう例もあります。また「牛は牛連れ」の諺のように、同じレベルで揃えれば無難だったのが、一点飛び離れた道具が使われて、全体の調和が乱れるなどいう例も案外あるのが、茶の湯の道具組の難しさでしょう。

 勿論、道具は良かったんだけれど、ご亭主のご説明が物足りなかったとか、道具の趣向もご亭主にも満足したけど、ぎゅう詰めだったのが風情に欠けたとか、道具の評価だけでなく、様々な事象を総合して評価をされるのは、大寄せ茶会の宿命でしょう。茶席の亭主側の努力だけでなく、それ以外の問題、正客がもう少し聞こえるように話して欲しかったとか、受付の人の対応がちょっとだとか、待ち時間が長過ぎたとか、果ては雨で寒いことなどまで、茶会が楽しかった、それほどでもなかったの基準になるわけで、しかも客一人一人の個性や茶風、茶の湯への深さ浅さなど、実に様々でしょうから、それに対して亭主として良い席を作るということは、考えてみれば大寄せ茶会では大変なことです。

 ですから、迂闊に、茶席を面白かった、なんだと批評するのは、慎むべきかもしれませんが、この一ヶ月、四回の大寄せ茶会に出て、萩焼茶会の薄茶席、護国寺の各流薄茶席四席、池田瓢阿氏茶会の薄茶席、東茶会の濃茶二席(展観席と拝服席)と薄茶席の計九席に入らせて頂きましたが、どの席が面白かったか、率直に申しますと、こんな結果になります。勿論、私の好みで、道具組中心に、亭主の応対、その他諸々の要素も勘案しながらですが、一番良かったと感じた席は、池田瓢阿氏の席です。一つ一つの道具が良いだけでなく、会の主旨に沿った道具組の趣向がピタリとはまって素晴らしかった、私の好みに一番あっていたとも言えます。二番は、東茶会の薄茶席、流儀に沿ったバランスの取れた道具組が良かった。三番は東茶会の家元展観濃茶席、もし、この席で点前が行われて拝服出来ていたなら、文句なく同じく一位に選んだと思います。強いて言えば、全て凄い道具組が私などには多少重苦しかったのと、漢時代の水指がもう少しオーソドックスなものでも良かったのではということ。四番目は式正織部流の席、五番は萩焼茶会の席と渭白流の席というところでしょうか。妄評多謝というところで失礼します。

    萍亭主