前回の続きですが、東茶会の薄茶は、大広間(雪の間)で行われました。

 薄茶席の席主は、家元直門で、高松の杏茗庵という男性。何でも、本業はお医者様の数寄者のようです。高松藩松平家は官休庵家元が代々茶頭を務め、深い縁故の土地で、今でも流儀の地盤、表千家と紀州和歌山、裏千家と伊予松山の関係と同じです。さて、ここも大きな床の間があるのですが、真っ先に目を惹いたのは、置かれた花入、見たこともない、高さが160センチを越すような細長い瓢で、その奇抜さは強印象。綺麗な照り葉が入っています。

軸は官休庵四代直斎の一行物で「開門落葉多」の語の落葉の部分を松葉の絵で表現してある洒落たもの。まず出された菓子は地元の三友堂製の木守柿という小さな柿の形の柿餡のもの、小さいので地元特産の和三盆も添えたというお心入れ。器が七代以心斎好み在判の松の木盆、連客には、大型の籃胎蒟醤の盆で頂戴。何より有難かったのは、席主が大きくよく透る声で、ご説明がよく聞こえたこと。ご説明によれば、花入は兪好斎在判で「好士」の銘があり、本来は掛花入だが、この床は掛け釘がないので、古木板に穴を穿って、そこに下部を差し込んて置花入にしたということ。また脇床に飾られた硯箱は、表千家の惺斎が兪好斎に贈ったもの。官休庵は八代一指斎の死後、家元は空位で、幼かった兪好斎は、惺斎の下に寄宿し、成人し表千家を離れて家元を継いだ時、惺斎から贈られたという官休庵にとって由緒のある品です。点前座の釜は、文叔、直斎の箱の寒雉の尻張釜、裏千家の箱は珍しくない寒雉ですが、官休庵の箱は珍しいそうです。炉縁は御所の欅橋の古材で、宗哲作、兪好斎箱の品。風炉先の金銀屏風は一指斎好みで兪好斎在判、その前には兪好斎好みの神路山棚という白木の袋棚が置かれています。後ほど拝見した七宝平水指は、締まった形の、内部もすごく綺麗な立派なもの。同門で一緒に稽古している仲間という当代諏訪蘇山に作って貰ったという青磁の数茶碗で、お茶を頂戴。茶碗は、紅葉、銀杏、松葉、嫩葉など模様がそれぞれ鉄釉で描かれた五種類、青磁の数茶碗は珍しい。薄器は、文叔在判、一啜斎箱の菊桐蒔絵中棗、替として拝見後に棚に飾られた青磁片口茶器は、いかにも三田青磁らしい発色のもので、漆の蓋裏に都鳥の蒔絵と有隣斎の判があります。茶杓は、六代好々斎が、それぞれの素材で作った松竹梅三本組の中の「竹」を使われました。主茶碗も好々斎の手造りの赤楽、手に取れなかったので重さなどわかりませんが、少し背の高い面白い形、手造り茶碗を多く作った宗匠と聞きますが、確かにプロ風な感じに見えます。替が高松藩お庭焼の讃窯の伊羅保と、同じく理平焼の色絵菊文。讃窯は仁阿弥道八父子が招かれて焼いたもので、亀甲の印があるはずですが、私の老眼ではよく見えない。黄伊羅保と言っても良さそうな色合いの小ぶりの良い感じの品。理平は今のものではなく、古理平と呼ばれる初代のもので、初代は仁清の窯の職人頭だったという伝承があるそうですが「黙っていれば古清水で通ってしまいます」というご説明通り、地肌の色や文様の描き方が全く同じ。考えてみると、讃窯も古理平も茶席で拝見するのは初めてです。蓋置が一指斎箱で慶入作の白楽で長細いナスビというもの、本歌は、江戸で将軍に下賜された茄子の皮で作ったものだったというのですが、本当?という伝承。煙草盆が直斎好み宗哲作の櫂形という、船の櫂を挟む形の耳が両側についた品。立派な古染付火入に、一指斎好み煙管、この流儀の約束の香箸も添えられ見事ですが、蒟醤の八角莨入が、本手の良いものなのでしょうが、平たすぎて、他とのバランスがひどく悪いのは残念でした。何にしても、見どころの多い眼福な席でした。

 終わって最後に、三階で食事。ここも高松の二蝶というお店の点心で、松花堂形の器に数々のご馳走、ことに、瀬戸内のものかはわかりませんが鯛の刺身が抜群の美味で感服。惜しいことに、前回の吉兆と違い、一献がなく、この刺身、一杯でも酒があったらなあと思いました。午後一時前に全て終わるという、待ち時間の少ない茶会でした。

  萍亭主