前回の続きですが、東茶会の官休庵(武者小路千家)家元の濃茶席の飾りは凄いものです。
利休から歴代の家元のゆかりの品をズラリとならべながら、先代と当代の家元の品が何一つもなく、つまり古いもので統一されているわけで、この辺も凄いなと思いました。六代と七代の家元のものがないなあと思ったのですが、後ほど伺った薄茶席では、六代と七代の品が、しっかり使われていて、この辺も配慮があったのかもしれません。前の東茶会では、寄付きで箱書など拝見した後、その場で、点前なしに点て出しの濃茶が各服で振る舞われ、その後、本席を拝見したのですが、今回は本席拝見後、廊下でしばらく待ってから、大広間(花の間)で濃茶が振る舞われます。ちゃんと飾り付けがされ、お点前もあるのですけれど、この席の道具は、会記に載っていないのです。大きな床には、本席の軸より更に大きな大横物が掛かり、右に喝の一字、左に円相が並んで書かれています。喝は一啜斎、円相は裏千家の認得斎の筆とか。業躰らしき亭主がご挨拶、そういえば今回、家元のお顔を見ませんでした。若宗匠はお見かけしたのですが。正客は来合わせた竹芸家の池田瓢阿氏が押し上げられました。しかし、四十人も入った大広間で、主客の声がどうも小さくて、あまり聞こえません。ご亭主の「久しぶりの大寄せ…」「この席は新しい道具で…」「…の復活を」など切れ切れに聞こえるうちに、お点前が進み、連客の前にも数茶碗が持ち出されましたが、これが何と「お三人様で」と、飲み回しなのです。私はよく聞こえなかったのですが、復活とは飲み回しのことだったらしい。道理で一座の方々に動揺が走ったように感じました。なにしろ、私たちもそうですが、客の半分はまだマスクをつけ、接待側にもマスクの人もいるご時世ですから、大寄せで飲み回しの復活があるとは思わなかったという人も多かったでしょう。私たちのところは、たまたま妻が一番、私が二番という順番で数茶碗が来たのですが、三番目の御婦人客が突然「私は濃茶を頂きませんので、お二人でお引き下さい」と言われたのです。邪推かもしれませんが、避けられたんだろうなと思います。実は、茶碗が小さく、お茶の量も少なくて、二人で 飲んで丁度良いくらいの量でしたが。お茶は当代家元の好みで、伏見桃香園詰の「淀の昔」、菓子は虎屋製の「仙家の友」という黄色い花のような菓子で、美味でしたが、皮が厚く少々切りにくい。主茶碗は先代家元有隣斎の手造りで、甲子園の砂が練り込んであるとか。替茶碗は坂倉新兵衛だったようです。点前座は、この流儀独特の自在棚(据え方を180度変えることで風炉・炉両方に使える)に、二代諏訪蘇山の青磁平水指を使われましたが、花入も青磁だったのがちょっと気になる。釜は手塚圭成作の丸釜、蓋置はお出入りの理平焼。茶入は鷲棗を使われ、茶杓は正客の池田氏が拝見を請われましたが、「それほどの品でもないので」と水屋に引かれてしまいました。終わって、我々は池田氏に先日の茶会の礼を述べ、次の薄茶席へ向かいました。続きは次回に。
萍亭主