前回の続きですが、陶芸家某氏が作られた茶室を拝見して、いやあ、茶室は面白いものだなあと感じました。

 某氏は生前、茶の湯に関しては、特に何流を学ぶということもなく、自由に楽しんでおられたそうです。芸術家らしい感性で、茶の湯を自分のものにされたのでしょう。数寄者だったわけです。しかし、茶の湯に関する相当な学識があったのは茶室を見ればわかります。素人が勝手に自由に作ると、どうにも奇妙な点が生じるものですが、この茶室にはそれがない。流儀に囚われて、流儀の代表的な茶室を写した(こういう例は実に多くあります)わけでもなく、寺院にあるような大きな花頭窓を設けるという個性を発揮しながら、でも茶室として、ちゃんと古典的雰囲気は保っている。茶室というものは、名茶室をそのまま忠実に写した場合でも、その立地や、露地や、周囲の建物地の関連などで、それぞれが、全く独自のものになるという面白い面があります。この茶室も、これだけしかない独自性を十分に見せてくれて、拝見して、面白い体験をさせて頂きました。

 さて、この茶室の傷んだ外壁をどう治すのか(内部の室床も修理した方が良さそうにも思いましたが、これは余計なお世話かもしれません)。流石、ご大家と感心したのは、荒木田土、聚楽土など、壁土の材料が、大量に保管してあって、原料には不自由しそうもないという点ですが、熱心な左官屋さんは、いろいろ考えて、陶芸家が集められた陶器制作用の沢山の種類の土が、大量に残されているのを、研究してみて壁に使える土があれば、使ってみるのはどうか、そうすれば、この茶室だけの独自の壁が出来るかもしれないと言い出しました。ご遺族も、茶の湯は全くやられないものの、芸術家ばかりなので、それは面白いと大いに盛り上がって、その方向で検討することになりました。その前に、蜂の駆除も必要でしょうし、結構時間がかかる作業になりそうです。

 心配なのは、腰掛待合所方。くの字形で、六人は座れるだろう大きさ。水洗式のちゃんとした雪隠も付いた立派なものなんですが、壁は蜂にやられ放題、屋根も一部落ちそうですし、柱も芯がなくなり、ぐずぐずのものもある。これは左官屋さんだけでだけでは無理で、大工さんが必要。しかし左官屋さんがポツリと「今の人は、すぐ、壊して新しくした方が早いって言いますんでねえ」と。そうなんです、新しくした方が、は今の風潮ですが、これは茶の湯には大敵の言葉です。ご遺族の話では、腰掛を建てた大工さんはまだ存命で、直す意思はあり、材木も幾本か乾燥させたのがとってあるということなので、修復の道を選ばれるようですが、これも大変な作業になりそうです。いずれにしても文化財として、再び活用される日が来ることをお祈りするばかりです。

   萍亭主