前回の続きですが、今から75年も前に、既に「濃茶の大寄せは、是非とも、各服点にすべきである」と喝破したのは、佐々木三味氏です。
佐々木氏については、今までにも何度か触れましたが、裏千家の円能斎の弟子で、文筆家で茶の湯学者であり、大正中期から昭和40年代まで活躍し、多くの茶の湯関係の本を執筆しています。この言葉が載っているのは、昭和24年2月晃文社出版の「お茶の主と客」という本です。まだ第二次大戦での敗戦から、三年半しか経っていない頃で、地獄の底のような状態は脱しつつあったものの、まだまだ日本は窮乏の時代で、本自体も粗悪な再生紙で、印刷の字も薄い状態の粗末なものです。この時代によくこんな本が出された、茶の湯どころじゃなかったのではと思うのですが、何とか伝統文化を再興しようという熱意と気運が盛り上がっていたのかもしれません。内容は、これから20年ほど後に、同じ筆者が書いた名著「お茶事」の中で説いた主客の心得と、そう変わらない、基本的なことですが、「お茶事」と違い、これには大寄せ茶会での心得が書いてあり、その最終末の言葉です。大寄せ茶会は大正中期くらいから盛んになっているのですが、この時期、既に各服に言及される人がいたのは面白い。ただ、佐々木氏は、何故大寄せは各服にすべきかの理由を全く書いていません。推察するしかありませんが、多分、大寄せ、見知らぬ人との間で、一椀を分かち合うのに、抵抗を感じる人がいたからではないでしょうか。初めて茶の湯の稽古をした人が、同じ茶碗で他人の飲み残しを飲むという日常経験しない事に、驚き、戸惑い、忌避の感情を持つということは、よく見聞きします。慣れるまで時間のかかる人もあり、稽古場で知り合いの間では平気でも、外ではちょっと緊張するという人もいる。佐々木氏は、そういう実態を感じていたのではと思います。また、大寄せは、初心の客もいるし、流儀の違う人も混在する、不慣れや、作法の違いから、茶碗を回すのに時間がかかり、末客に廻る頃には、冷めて不味くなってしまうことも多い。その辺のことも考慮されたのかも。また、一味同心、一座建立といっても、それはやはり、小人数の知己が寄り合い、狭い親密な空間だから成り立つ精神美で、大広間に二十人以上も詰めかける大寄せでは、そんなことを言っても全く意味がないと感じられたのかも知れません。
見知らぬ人との接触を躊躇するのは、無意識の衛生観念が働くのかも知れません。裏千家には、円能斎が考案した各服点という、お茶事用の点前があります。長いこと眠っていたこの点前を、コロナ騒ぎで、当代家元が公開して推奨したのですが、この点前の考案されたきっかけは、大正前期のスペイン風邪流行(大変なパンデミックだったと言います)の対応だと、私は勝手に思っていましたが、文献を探ると、そうではなく、知人(多分、医者)から、非衛生ではないかと指摘され、そこから思いついたということのようです。つまり、実際の感染を恐れて考案されたのではなく、西欧的衛生概念からの発想で、大正期には、そういう思潮が日本にも浸透しつつあったのでしょうか。円能斎の各服点は、我が家でも試みてみましたが、正直、どうも美味しく五客分を練ることは難しく、中途半端な点前のように感じます。茶事はいずれ廻し飲みを復活させねば仕方あるまいと思うのですが、大寄せは各服と決めてしまうのもいいような気がします。茶碗の数や、水屋の手間は大変ですし、濃茶は一人分を練るのと多人数分を練るのと、どちらが美味しいかという問題は別としてですが。
萍亭主