猛暑に悩まされ続けた季節も、やっと移り変わる気分になったか、晴れていても、陽光が穏やかに感じられるようになりました。
今月は風炉の名残の月、来月は炉開きと、茶の湯らしい季節になるわけです。今年は、大寄せ茶会もそれなりに開催されるようですし、茶の湯世界も元気が出て来ているのかも知れませんが、インバウンド景気が再燃して活気づく観光地ほどは、昔に戻っているとも思えません。ともあれ、移り行く時の流れに従えば、三ヶ月後には、辰年の初釜が来るわけです。やや気が早いですが「初釜はどうしようかなあ」と妻が悩んでいるので、やるんじゃないの?というと、それは勿論やる気だと。我が家のささやかな初釜は、何もわからぬまま、家族内で始めた40年以上前から、昭和天皇崩御の年と、コロナ最盛期の一昨年2021年以外、休んだことはありません。妻の悩みは、やるやらないではなく、やり方なのだそうです。従来は、濃茶、薄茶を二組で交互に行い、その後の宴席は全員で楽しむというやり方でしたが、去年は小人数でということで四組に時刻も分散し、宴席はなし、という状況でした。今年も同じ感じで、ただ別席に少量のお酒と弁当を用意して、時間差で小人数にゎかれてご自由にお飲み下さいとしたのですが、ほとんど盛り上がらなかったようです。来年も宴席を設けるのは無理なんだろうなあというのが妻の観測です。コロナが感染症5類になり、世上マスク姿も減りましたが、情報が少なくなっただけで、感染者が減少しているかも定かでない。知人でこの夏コロナにかかったという人も散見し、全く油断がなりません。宴席よりも妻の気掛かりは濃茶で、やはり各服にせざるを得ないのかどうかということです。去年は嶋台茶碗を借り集めて、それで各服にしたものの、どうにも勝手が悪く、今年は嶋台は使いませんでした。嶋台がないのは、正月らしくないし、何より各服は、茶碗の数も、水屋の手間も大変です。大人数が密集するのがいけないという理由より、各服にするなら我が家などの規模では、水屋と茶碗の数で、客の人数を減らさざるを得ない。見ず知らずの客の集まる大寄せと違い、我が家の初釜は知己ばかりが見えるわけですから、廻し飲みも別段構わないような気がしないでもないですが、お客様個々の感覚もあるでしょうし、三年続いた各服の習慣から、元へ戻るきっかけがなかなか掴めません。
一昨年の今頃は、緊急事態宣言が一度解除された頃のことで、このブログでも、これからウイズコロナの時代、茶の湯はどうなる、特にこれからの濃茶の作法はどうなるか、心配を書いていますが、どうも新しい指針が家元あたりから示されるでもなく、新手法が研究されるでもなく、特段の変化もなく、自己責任でいいようにやっているというのが今のところの現況のようで、利休以来の廻し飲み、一座建立の精神は、どうなるか依然不透明です。二年前のブログのタイトルは「どうなる濃茶」としましたが、明確な答えも出ず、この問題が真剣に議論されるとも思えない今、「どうする濃茶」と悲鳴をあげたくもなります。「お客様に事前にアンケートをとるというわけにもいかないし」と妻の悩みは深いようです。
萍亭主