テレビのニュースショーで「明日29日はお月見」と言っていました。

 そうだっけと、暦を見たら、成程、今年の9月29日は。旧暦の8月15日、つまり八月十五夜です。今年は新暦と旧暦で44日差があるのですね。いつもあんまり考えもせず、九月は茶室の軸は「桂花露香」の横物を掛けっぱなしにしているのですが、お月様の軸でも掛けてみるかと腰を上げました。もっとも、考えてみると、我が家には、春の月の軸は二つあるのですが、秋の月は「清風払明月」があるだけなので、何を掛けようかと道具持ちの人のように悩むこともありません。大体、我が家は季節物の道具が少なくて、節分、上巳(雛の節句)、端午、七夕、重陽、どれも決まりきった品が一つか二つあるだけで、変わり映えもせず、ハレの茶会に使えるようなものでもありません。「茶は季節感を大切にします」と云うのは、大概の茶の湯入門書に載っている文句で、「季節の取り合わせ(道具組)」とか、「季節で使える銘」なども、よく取り上げられていますが、よくよく考えると、しっくり来ないものも多い。

 この夏、山小屋に昔読んだ随筆を持ち込み、パラパラ読み返していたのですが、先代池田瓢阿氏の随筆に「風流韻事は旧暦に在り」という文があり「懐古趣味の誹りを受けるかも知れぬが五節句にかかわりのある行事や、風流韻事、茶事、挿花などに関する催しはすべて太陰暦を採用して貰う事を提唱したいのである」とあります。新春と言ったって寒すぎる、利休忌に菜の花を供える習慣は、二月二十八日では、温室物で間に合わすしかないが利休様が嘆かれるだろう。雛の節句に桃は咲かず、三月三日の大潮に合わせての潮干狩りも水は冷たく、お供え飾り物の蛤も生きない。端午の節句に菖蒲は咲かず、帷子を着るほどでもない。立夏は夏は未だしの感だし(これから先は温暖化でどうなるか。萍亭主の独り言です)。水無月の菓子は氷の節句ならぬ梅雨どきで、七夕も梅雨の曇り空で天の川も見えない。立秋は暑気は去らず、重陽に菊の花を見ずという有様だというのです。実際、我が家に立秋の和歌の軸があるのですが、毎年、掛けようかなと思っても、和歌の言葉が体感と合わず、掛けるのを躊躇していますし、他の道具でも、入門書の取り合わせの例に従うのは、どうもなあと感じる場合もあります。利休忌は、一月遅れで行う向きもあるので、その場合は、さほど違和感はないのかも知れませんし、風炉、炉の入れ替えは、旧暦では四月、十月だったのを、明治以降は新暦の五月、十一月に遅らせたので、違和感なく、つづけられているのですが、これも近年の地球温暖化では、春秋も短くなり、風炉は四月から十一月までなどとなりかねません。そう言えば、テレビでお天気キャスターが「今年の衣替えは、十一月十二、三日が適当かと思います」と言っていましたっけ。

 ともあれ、この池田氏の主張には、私は基本的に大賛成です。

   萍亭主