夏の山小屋暮らしの時のことです。

 昔は書物を沢山持ち込んだりしましたが、最近目がめっきり衰え、拡大鏡を使っても活字が読みにくくなり、自然、読書の量もめっきり減って、書物も持ち込まなくなり、今年は、昔読んだ肩の凝らない茶の湯随筆類を数冊持っていっただけですが、読んだ筈なのに、全く忘れていて、話を再認識したりすることが多いもんだと実感しました。妻は私と別に、自分が読んでいない茶の湯関連の本を数冊書庫から持ち出して、適当に暇を潰すのが毎夏のことですが、この夏、妻が本を読んでいて、急にこんなことを言い出しました。

 「ねえ、武家の茶の湯の流派は、帛紗を右腰につけるけど、何故だか知ってる?」突然訊かれて、「え左は腰の物(刀)を差す方だから、って話?」と、思わず通説を言うと、「それは後世に付会した説で本当は違うって、この本に書いてある」「なんて?」「右の腰につけるのが本来で、利休もそうだったから、弟子の古田織部も、その弟子の小堀遠州もそうしていて、千家流が左腰にに付けるのは、宗旦が生まれつき左利きでそうしたからで、宗旦から出た流儀は、だからみんな左なんだって」。正直、初めて聞く話のような。もともと、点前にあまり関心がなく、この問題を真面目に考えたこともなく、ちゃんとは調べたことだってありません。「何の本だ?」。妻が差し出したのは、遠州流家元小堀宗実宗匠の「茶の湯の不思議」(日本放送協会刊)という新書版で、初版はもう二十年前に出されて、手元の本は十四年前の第十二刷です。しかし、この本、私が買った覚えもなく、読んだこともない本です。娘が貰ったか、買ったかで、書庫に入れたのでしょう。私は宗実宗匠が若宗匠時代に書かれた随筆は読んだ記憶があるのですが、これは読んでいない。「で、その話の出典はどこって書いてあるのか?」「槐記だって」。槐記は、江戸中期の関白近衛家熙(予楽院)の言を纏めた有名な書物です。これはいけない、私は昔、四十年も前ですが、茶道古典全集版の槐記を、よくわからない初心の頃ですが、一応読んだことがあるのですが、宗旦が左利きという記述があったかどうか、全く覚えてもいません。槐記にある、後水尾上皇や片桐石州、福島正則の逸話などは覚えているのに、やはりいい加減な読み方だったのでしょう。それにしても、こういう話は、茶の湯の初心者向けの入門書とか逸話集とかに引用されて目に触れそうな物なのに、そういう覚えもなく、講演や談話でも聞いた記憶がない。学者さんには周知のことなのでしょうし、この小堀宗匠の本を読んだ大勢の方もご承知の事実を、初耳とは全く恥ずかしい話ですが、もし、これも読んでいたくせに、すっぽり記憶から抜け落ちているという老化痴呆現象なら、それもまた怖い話です。帰京したら、槐記を見直さなければと思いました。続きは次回に。

   萍亭主