ご無沙汰しましたが、東京はいまだに暑いですねえ。

 当たり前の言い草ですが、今年の暑さは異常です。これじゃ、茶の湯どころではありません。千利休の頃は、こういう猛暑はなかったのでしょうか。明治大正の頃、猛暑の季節に、円能斎の弟子の一人が、稽古の折、「あまり暑いので、裸で点前をしてもよろしいでしょうか」と言い、円能斎が許すと、素裸で準備をし出した、無論パンツは履いていたんでしょうが。円能斎が、帛紗はどこに付けるかと思っていたら、頭に鉢巻きをして、そこに帛紗を挟んでいたという笑い話を、井口海仙でしたかの本で読んだ記憶がありますが。

 実は、私は暑さを避けて、七月下旬初から九月上旬末まで、群馬の浅間山山麓の山小屋で過ごしていたので(例年より長く)、平均25℃の冷房知らずの生活が送れたのですが、それでも結局茶の湯とは縁のない生活でした。帰京して、あまりの暑さに身体がついて行けず、ぐったり疲れて、ブログを再開する気も起きませんでした。暑い東京で過ごされた皆さんの方が、大変でも体が鍛えられて、案外、お辛くないのかもしれません。真の茶人なら、山小屋に茶箱なり、茶籠なり持参して、一服を楽しむという事をするのでしょうが、そこは似非茶人のこと、そういう手間もしませんでした。ただ一つ、山小屋には、母が使っていた稽古用の平茶碗が一つだけ置いてあり、茶筅と手造り茶杓があるので、毎朝食後、濃茶を一服、これだけは欠かしませんでした。濃茶でなければ、濃茶と薄茶の中間、江戸千家の川上宗雪宗匠が「和韻点(ワインだて)」と名付けたやり方も真似て見ましたが、これもなかなかいいものです。飲み終わったら、湯を入れ、もう一度茶筅でかき回し薄茶にするのですが、これが私がやると、泡がふっくら立たず、表千家風になってしまう。妻がーやると、裏千家風に全面泡立つのは、修練の相違か、手首のしなやかさの違いか、口惜しいが仕方ありません。もっとも私は正式に裏千家の門人でもないし、悔しがることもないのですが。菓子をあまり用意して行かず、落雁、羊羹などを食い繋いだのですが、抹茶はやはり和菓子に限るなと、当たり前のことを再確認しました。果物が菓子の代用(昔はこの方が本来の菓子だった筈)ということも再認識出来ましたが。

 毎朝馴染んだ茶碗は、今年もまた山小屋に残してきて、来年再会できるか微妙ですが、この稽古茶碗も、母が昔から使っていたので、少なくとも80年は経っているでしょうし、安物ながらに風格が出てきたような気もします。落款もあるようですが、作者もよく分からず、美濃瀬戸ではなく、京焼じゃないかと思いますが、いずれにしろ、器が育つということも、茶の湯の醍醐味であるかもわかりません。

    萍亭主