尾形乾山については、、このブログを始めた5年前、2019年3月1日から、3回ほど連続して書いたことがあります。

 その時も書いたのですが、古い道具屋さんの間の冗談に「乾山と幽霊は見たことがない」というのがあって、つまり、乾山はそれほど本物は少ない、世間に出回っているのは贋物ばかりだというのですね。低火度の軟陶で、轆轤を使わぬ形物成形も多いし、絵付も一見、そう細密でもなく、ささっと描いているような風に見えるのが、真似しやすいとされるところもあるのかも知れません。元来、工房作も数あったと言われ、私淑した後継者たちの写しの作が、紛れてしまっている場合もあるでしょう。明治の頃には、京都に贋物を作る専門の店があったという話を読んだことがあります。そんな中、「我が家にも乾山がある」なんて言ったら、「ふざけるな」と言われるでしょう。その通りで、我が家などに乾山があるはずはありません。しかし、初代乾山ではなく、金銭的価値は全くありませんが、二代乾山のもので、それも茶碗や鉢ではなく、建水があるのです。以前、ある市で見かけ、買い込んだもので、陶工で、鑑定家、陶磁史の研究家でもあった二代真清水蔵六泥中庵のの箱書があります。勿論、尾形乾山作などとは書いておらず、「乾山製」とあるだけです。つまり、工房作か、写しか、乾山風な焼物の意味か、すこぶる曖昧ですが、蔵六が識箱を書くのだから、それなりの古い物で、道具として何か見どころがあるのだろうと、蔵六を信用して買うことにしました。下がその器です。いわゆるオランダ写しでしょう。

 その後、いりいろ調べてみると、上記の「乾山 爾」の書き銘は、二代乾山(猪八乾山)のものだという、写真と研究を見つけました。昭和48年平凡社刊「日本陶磁器大系第24巻」の記事です。この研究が、現在でも通用する学説なのか、それは不明ですが、私は、あ、これはに二代のものだろうと確信しています。実は、これも昔、京都の聖護院門跡で、寺が保有している二代乾山の作品を特別展示したことがあります。伝来は確かなもので、品は鉢、皿などで、これが、初代とは違う華やかな色で、器全体に文様を描き、それはゴシャゴシャとして、初代の絵より具象的でなく、線も明確ではない感じ。この建水の作風と全く同じ印象だったのです。ちなみに、出光の展覧会では、二代の作として出ていたのは、初代そっくりの錆絵の長角皿でしたが、聖護院の展示では、この手のものは一つもありませんでした。以後、この建水は、何度か茶会に使いました。建水は挨拶なしに 見過ごされるものですが、たまに尋ねられた時は、「尾形乾山でございます」と何食わぬ顔で答え、相手は当然「え?」と不審顔になった時「二代のものです」と白状して、なあんだとなった経験が二度ほどありました。二代猪八は、伊八とも書き、初代の養子で、江戸時代後期の文献には、野々村仁清の子だとありますが、確証はないそうです。

  萍亭主