現代、女性に、えらい茶人は居ない、などと言うと、異論が噴出しそうです。

 まず「うちの先生は、とってもえらい先生よ」という声が聞こえてきそうです。勿論、茶人の定義は難しいですから、考えようによっては、偉い女流茶人は、沢山存在するのかも知れません。実際、力のある、と表現される女流の先生は、大勢おられるでしょう。力があるというのは、大勢のお弟子さんがいるとか、稽古場を複数持っているとか、大寄せ茶会の席主を多く務めるとか、家元に直結して権力があるとか、道具持ちだとか、そういうことを意味するようです。地方に行くと、その市や町を制圧(?)しているような、有名な茶の湯の先生も少なくないかもしれません。しかし、それは、その地方だけ、あるいは、その流儀の中だけで有名なだけで、茶の湯界全体に名が響きわたっているかというと、それは疑問です。大茶人とあっさり呼べる人がいるかどうか。

 私は、妻と娘が裏千家なので、どうしても、裏千家流の情報が多くなりがちですが、たとえば、裏千家には昭和に、浜本宗俊という女性がおられました。女性で初めて業躰になった人です。業躰は、ご存知のように、家元内部に仕え、水屋仕事など全てを受け持ち、代稽古も行う専門職で、長い歴史で男性以外任じられたことはありませんから、男勝りの方だったのでしょう。知識も技能も深かったと聞き及びます。陶芸鑑定家の加藤礫庵、辻留の辻義一、茶の湯文筆家の佐々木三味と、一亭三客会という会を組織して、長年茶事を行い、小林逸翁にも可愛がられたという記録を読んだことがあります。まさに茶の湯の専門家だったといえますが、裏千家以外、上方以外に、どの程度の知名度があったのでしょう。私が知らないだけで、そういう女性なら、うちの流儀にだって居る、と言われるかも知れません。

 女性で、茶の湯の文筆家として活躍した人もいます。昭和から平成にかけて、三田富子、黒田光子、杉浦澄子といった人たちが、茶の湯の入門書や、陶芸関係の記述、随筆などを多く残しています。三田富子氏は、平易な読みやすい文章で、日常の茶の湯や、陶芸の旅などを描いた随筆を多く残しています。テーマを決めて道具組をすることが好きだったようで、裏千家で、この傾向が一時流行したのは、この影響も多少あったのでは。黒田氏も、稽古の手ほどきとか、茶道具の入門とか、茶人の歴史、茶と俳句など、多岐に渡り本を多く出し、杉浦氏は、特に陶芸に関して知識が深く、また、自家で月釜を掛けた記録も出版されたと思います。三人とも、無論、茶の教授もして、多くの弟子を育てられたようですが、その後がどうなっているか私は知りません。ちなみに私は、面識などもなく、杉浦氏だけは、一度、ある古美術商で遭遇したことがありました。三人とも裏千家なので、私もなんとなく著書も読み、知識を得たわけですが、私の思うほど、一般、他流の方が読まれていないのを知って、そうなのかと思いました。やはり、多少の流儀の壁はあるのかもしれません。同様に、私の知らない流儀で、文筆を操る女性もいて、私が知らないだけかも知れません。いずれにせよ、この分野でも、高橋箒庵を凌ぐ女流茶人が現れるとも思えません。

 東茶会などの席持ちをされるような、つまり、美術館や数寄者並みの女流茶人も無論おられるわけですが、私の認識、知識が低いか、どうも言及する気が起こりません。

 いろいろ書いてきて、まだ例えば、江戸時代の松平不昧の娘で、茶の湯に詳しく、茶器の箱書を残している堀田玉瑛など、触れていない女流茶人もありますが、大勢に影響ないので、この辺で、女流茶人噺は、切り上げるとしましょう。

  萍亭主