茶人の伝記は、いろいろありますが、どうも女性茶人のものは少ないようです。
女性で、茶の湯に関係のある人の伝記というと、跡見花蹊とか新島八重子が出版されていると思いますが、前者は、女子教育に茶の湯を取り入れた先覚者という面で触れられていて本論は教育者としての彼女ですし、後者も、その数奇な一生の紹介で、茶人としての面は、そんなに言及されず、大河ドラマに便乗した感じの方が強い。その点、専門茶人として伝記があるのは、堀越宗円でしょうか。彼女に関しては、20年前に、小伝が出版されています。
堀越宗円は、本名梅子、薩摩出身で、財政通で、内閣も二度組織した、元老松方正義公爵の五女として生まれ、実業家堀越角次郎に嫁ぎました。堀越家は幕末から明治に、織物業で大資産を築いた家です。生来、明朗闊達で、気丈で向上心に富んだ性格だったといいますが、多趣味で、日本画、書道、竹芸、長唄、荻江節などに長じましたが、もっとも力を注いだのが茶の湯でした。裏千家の東京での、当時第一人者だった田中宗卜に師事し、宗卜の死後は未亡人宗妹に教わったとされます。益田鈍翁や高橋箒庵などの数寄者にも可愛がられ、淡々斎や広瀬拙斎など、家元関係とも親交がありました。昭和2年、35歳の時、蕾会という組織を作り、茶の湯を教えます。上流階級の男女が集まり、発足10年目の昭和11年には、十周年を記念して、護国寺に茶室を寄進するという凄いことを行なっています。蕾という字を分解して付けた名の艸雷庵です。同時に建てられた鐘楼の鐘には、蕾会会員百六十四人の名が、高橋箒庵の銘文とともに刻まれています。その中には当時の新派の人気女優水谷八重子の名もあり、親睦会的な面もあったのか、淡々斎夫妻や陶工大野鈍阿も名を連ねています。
宗円は、裏千家の寒雲亭が、久松家に譲られていたものを買い受け、鎌倉材木座の別荘に移築しました。昭和3年のことです。翌年、別の所に流出していた寒雲亭の灯籠と蹲を買い取りました。この二つは、その後、裏千家に贈与され、また狩野探幽が飲中八仙を描いた寒雲亭の襖、手違いの襖という名で有名ですが、これも昭和19年に、裏千家に贈与返還されました。裏千家に対して、種々の貢献があった故もあるでしょうが、宗円は昭和28年、裏千家では最高の地位と言われる「老分」に、女性で初めて推戴されました。昭和52年、87歳の高齢で亡くなりました。まだ半世紀経っていません。
宗円は、結構、趣向に富んだ茶の湯を好んだようで、工芸家に趣向に使える新しい道具をいろいろ発注したり、好みの道具を作らせたりしています。あまり流通していませんが、茶杓の作も多いようです。蕾会の活動は、月釜など戦前は活動が盛んですが、戦中戦後は、やはり活動は衰え、戦後は稀に東茶会での掛け釜が報じられる他、あまり資料が残っていないようです。傘寿自祝茶会を五島美術館で催したのが、公的活動の最後のようです。宗円は、数寄者の茶の湯、上流夫人達の茶の湯、家元の茶の湯、それらを自然体で組み合わせた、そういう茶人だったのでは、と私は勝手に考えています。そういう意味でも、昭和を代表する女流茶人といえるのではないでしょうか。
明日はブログを休みます。
萍亭主