早いもので、今年ももう六月、水無月になりました。

 近所にお菓子屋さんがあった頃は、この時期には、菓子の「みなづき」を注文して、三角形の形と味を愛でる習慣があったのですが、三年前に廃業されてからは、遠くに買い出しに行くのも面倒で、我が家のこの習慣も途絶えてしまいました。六月には我が家は「一声杜鵑孤雲上」の軸を床に掛けるのが慣例ですが、ホトトギスの声なんて、実際には何十年も耳にしたことがありません。昔々、東京の片田舎で自然に溢れていたこの辺では、子供の頃に亡母が「今朝ホトトギスが鳴いた」と言っていたことがありましたが、私自身は直接聞いた記憶がありません。そういえば、昔、八王子での茶会に、席主の方が、テープに録音したホトトギスの啼き声を寄付きで再生して聞かせるという趣向をなさったことがありました。

 町内会の会報が回ってきて、まもなく、蛍祭が開催されるという通知を見ました。飼育した蛍を近所の上水に放つという行事は、かなり前から始められた、寂しい商店街としては、目玉行事なのですが、コロナ騒ぎでずっと中断され、今年、やっと完全復活のようです。ただ台風の影響で、雨が迫っているようですから、中止にならなければいいがと気がかりですが。実は私は人混みを恐れて、一回行ったきりで、後は祭りの翌日、生き残り(?)の蛍を探しに見に行く程度なのですけれど。蛍は、この辺に田圃が沢山あった昔には、少数でも自然に飛び交っていたもので、子供の頃には目撃したことがあります。茶の湯で「蛍」と言えば、有名なのは、小堀遠州が命銘した茶入「蛍」で、瀬戸春慶手の中興名物、茶入の裾下に、窯変した赤い斑点が、蛍の光を連想させるので名付けられたといいます。越後新発田藩主溝口家(当主が石州流の茶の湯を伝えた)に伝来し、明治37年、ビール王馬越化生が手に入れました。化生は、大正期に、毎年、五月末ごろには、この茶入を用いて、風炉の茶事を催しました。年中行事として、当時の数奇者仲間に有名で、季節が近づくと、「そろそろ目黒(化生の住居)で蛍が飛び出すだろう」と、楽しみにされたものだそうです。その頃は、数奇者の間では、同一の器物をメインに毎年茶会を開くというのは、珍しい例だったようです。これは現代でもそうかもしれません。さて、我が家には、考えてみると、茶碗も棗も、蛍に関連した器物は全くありません。そうだ、大正時代だかの万里とかいう無名の画家が書いた蛍の掛軸があった筈だと思い出し、何年ぶりかに虫干しかたがた、寄付きに掛けてみることにしました。記憶より大きめの幅で、絵も言われないと蛍と思えるかな?という感じで、下手な絵と思うのですが、これで水無月を迎えた気分にというのが、我が家の現状です。

  萍亭主