前回の続きですが、東茶会の濃茶席の拝見を終わり、薄茶席前の廊下に移動。

 廊下前は日本庭園になっており、緑が濃く、なかなかの眺め。いつもは美術市の商品の展示場になるので、つい、よく見ないのですが、落ち着いて見るといいものです。廊下には大勢の人が待っているのですが、椅子が空いていないので、立ったまま待ちます。同じく立って談笑しているグループに和尚さんが一人。どこのお坊さんかと思ったら、後で、先ほどの濃茶席の軸が、馬越家に納まる前の所持者だった祥雲寺のご住職と知りました。以前、この方が席主の茶会に伺ったことがあるのですが、わからなかった。坊さんはどうも皆同じ顔に見えがちです。「出来ることなら、あの軸を寺に戻してほしいものだ」と、冗談めかしてボヤいておられたと後で聞きました。さて、なかなかお呼びがかからず、足がじれてきた頃、ご案内。和尚さんがいれば、正客になる気遣いなしと、和尚さんに続いて入り、和尚さんお顔見知りの人に次客三客を譲って四客に着座。席の花の間は四十畳はあろう大広間で、気がつけば50人弱の客が入っていました。席主の久米守翠さんが椅子にかけられ、老美術商が出て最初に挨拶、ただ席が広くて距離があり、マスクのせいもあって、あんまり聞こえない。どうも馬越家にゆかりの品が飾られていること、お席主が、櫻川大尽と呼ばれた馬越化生と同じ櫻川町の出身であることを述べられたようです。席主が一言挨拶の後は、お点前が始まり、門弟の女性が説明役。正客が「馬越化生ゆかりの茶会にしてはビールが出ませんでしたな」と笑いをとり、茶会らしくなってきましたが、いかんせん、女性の声が小さくて聞こえにくい。この席の床は、奥行きも一間ある大床ですが、軸は会記には宙宝の「南山寿」とあるのですが、「百尺竿頭進一歩」の一行物が掛かっています。筆者は同じ宙宝で、例の威勢の良い字で、大床にもめげない感じですが、何故変えたのか、「コロナ対策移行後、我々も新しい一歩を踏み出さねばと思い」というようなことを言われたようですが、変更理由はよくわからなかった。花入も唐物籠の筈が、大きな水盤に変わり菖蒲が生けられ「花にはこの方が似合うので」と、これはわかりやすい説明。香合は床に相応しい大きな、直斎(官休庵4代)好み源氏車蒔絵の写しで、中村宗哲作で一啜斎(官休庵5代)箱。お菓子が4客分づつ載せられた菓子器で配られました。主菓子器は官休庵好みの名取河蒔絵の硯蓋、官休庵出入りの名工、三好木屑作。私達の菓子器は、同人作の青海波盆。菓子は「若みどり」という四角で生地が白くて緑色がさされた意匠。愛知県半田の松華堂からわざわざ取り寄せられたそうで、お席主の好みのようです。面白い感触の独特な美味しさですが、あえていうと、濃茶の菓子と形、味がや似た感じなのが、勝手な感想ですが、少し気になりました。この辺で、説明役の女性が男性に交代、でも私にはやはりよく聞こえない。お茶が点てられ、正客に運ばれます。主茶碗は馬越家旧蔵の乾山作黒楽茄子の絵ですが、それは使われず、脇書院に飾られ、替茶碗の赤楽(直斎手造り)で出されました。正客から茶碗が拝見に送られ、四客の私にまで廻ってきたので、妻と一緒に拝見。筒形で、白く富士の一筆絵が描かれ、江戸土産の銘だそうです。小ぶりですが、落ち着いた、かと言って渋過ぎないいい色です。50人近い客に回していいものか、三客と相談して、亭主側に伺うと、やはりストップで、後ほど飾ると引き上げられました。次客にも替茶碗が出され、これも私のところまでは廻ってきたので拝見。永楽妙全の色絵八つ橋模様で、これも小ぶりの薄茶らしい茶碗、河濱支流印で、金彩も使った、わりと華やかなもの。三客以下は平たい数茶碗の瀬戸唐津で、順次頂戴。熱く美味しいお茶でした。長くなったので、続きは次回に。

  萍亭主