今日は亡父の五十回忌です。
私の父は、明治生まれで、三井系の会社に勤めて、定年後は小さな会社を作って、商事活動をしいました。茶の湯は、きちんと専門に習ったわけではありませんが、母が茶の湯の教授をしていたので、一緒に茶会に出かけたり、道具を買い込んだり、母の茶事のサポートなどをしたりしていたようです。私は、生前の父と、茶の湯に関して話をしたことが殆どなく、母が死んだ後、父が死ぬまでの半年間、ほんの少し、我が家の道具に関する事とか、思い出話を聴いたくらいです。三井系のといっても、別に偉い役職についたわけでもなく、当時の三井系数奇茶人と交際があったわけでもなく、当時の中流サラリーマンとしての趣味の一つ程度だったのでしょう。益田鈍翁が死去した際、三井系各社の庶務課長が動員されて、葬儀の実務を手伝ったらしいのですが、その時に父も働かされたらしく、益田家からの父宛礼状と、配り物の文箱(蓋の表裏に鈍翁自詠の和歌が蒔絵されている)が、残っていますが、それについても何も話を聞いておかなかったことを悔やんでいます。日曜日に、父にとっての曾孫たちを動員して墓掃除を行い、今日は簡単な追善趣向の釜を掛け、身内で一服という事にしました。追善趣向と言っても、母の時や、お彼岸の折の道具組とそう変わるわけでもなく、定番で変わり映えもしないのですが、以下のような感じです。
軸は、いつも持ち出す「神護寺一切経切」
花は都忘れと令法。花入は山崎宗鑑好み油筒の写し。お灯明のつもりで。
香合は伊賀伽藍。二代真清水蔵六作。
茶杓は大徳寺現管長明浦老師の銘「虚空」。
釜は大西浄雪作、小阿弥陀堂。炉縁は常什の梅古木。
水指は唐津の井戸形。閼伽水を汲む気持で。茶碗は対州御本。宗家対州窯の印のある箱に入った、宗家の売り立て品で、いわゆるお蔵入御本です。
棗は、これもこういう時に定番で使う達磨棗。如意と払子の蒔絵があります。
親の五十回忌をするまで長生きできたのは冥加な事ですが、そろそろ自分の追善でも遺言しておいた方がいいかという齢になりました。
萍亭主







