裏千家の鵬雲斎大宗匠が、四月十九日にに満百歳を迎える記念に、百寿茶会と銘打って、東京で、二月に茶会を催されるという話は、一月のこのブログにも書きました。
無事終了したことは聞いていましたが、昨日、娘のところに届いた「淡交タイムス」という月報に、記事が載っているのを読みました。ブログに二月の五日から八日まで、四日間と書きましたが、私の聞き間違いだったのか、どうやら七日八日の二日間だけの開催だったようです。一日八十人の客と前に聞いたことが本当なら、百六十人だけの恐ろしく限られた客だったわけで、コロナ前の裏千家の各種催しから見れば、こじんまりとしたものです。会報には、簡単な記事しかないので、いかなるお偉方が来訪したやら、さっぱりわかりません。おやおやと思ったのは、濃茶席が玄々斎好み点茶盤、薄茶が淡々歳好御園棚と、いずれも立礼で行わられたとの事。立礼が略式と思うのは、私の偏見かも知れませんが、ま、いろいろご都合もあるのでしょう。濃茶席は若宗匠が点前をすると聞いていたのですが、写真を見ると、大宗匠が点前をしている写真が載っていますから、何回かは点前をされたのか、その辺のこともあるのかもわかりません。江戸時代なら、間違いなく、連日の茶事の形式でなされたのだろうと想像しますが、大寄せの定着した近代では、まず妥当な開催の仕方なのでしょう。道具組も、濃茶席の軸が、九代家元不見斎の「亀鶴現祥瑞」の横物が掛けられたということしか記事がないので、詳しいことは、いずれ淡交本誌に載るのを待つ以外ありませんが軸は写真で見ると、大きく堂々としていて、文句も催しに相応しいのかも知れませんが、百寿記念ともなれば、宗旦とか清巌とか、大物が掛かるんじゃないかと予想したのですが、それははずれたようです。道具組は、大宗匠自身ではなく、当代家元が組まれたという事を、風の噂で聞きましたが、あくまで噂なので、真偽は保証の限りではありません。ところで、記事には「大宗匠が挨拶された後、各服点にて濃茶が呈されました」とわざわざ記されています。この各服点でなく濃茶が供される日はいつ来るのでしょうか。マスクの着用は任意になりましたが、濃茶回し飲みは、いつ解禁されるのか、大宗匠ご存命のうちに、その日の来る事を切に祈ります。
萍亭主