明治大正の数奇者の茶の湯世界で逸話になっている徳利の話があります。有名な話なので、ご存知の方も多いかも知れませんが。

 当時の数奇者のリーダー格、益田鈍翁とビール王馬越化生は、同じ三井グループで仲が良く、茶の湯でもいいライバルで楽しんでいましたが、ある時、化生が鈍翁に掛軸を贈った返礼に鈍翁は交趾桃香合を贈りました。化生はそれを自分の還暦茶事に使ったのですが、客の井上馨たちは、その名品であることに驚嘆し「こんないい品を人に贈るとは益田は偉い」と褒め称えましたが、化生は、つい「益田はいい道具を持っちゃあいますが、これでから」と、両掌で目を塞ぐ仕草をしました。つまり、道具に目が効かない、だから品物の善悪がよく解らぬままこれをくれたんだというのです。化生としては、軽い冗談で言ったのかも知れませんが、井上馨が「馬越はけしからんことを言っていたぞ」と鈍翁に告げ口し、「あれを放っておいていいのか」と煽ったたので、鈍翁は「折角、大切なよい物を贈ったのに、そんな言われ方をされては、今後、茶の湯の上では馬越と絶交する」と宣言します。実は井上は、二人を喧嘩させて仲裁に乗り出し、原因はこの香合だから、これは俺が預かろうと、香合を横取りするつもりだったといいます。ともあれ、鈍翁に締め出されては、数奇者世界で面目を失うので、困惑した化生は、鈍翁の弟紅艶に取りなしを相談します。紅艶は「何か秘蔵の道具を一品、譲ることで和睦すればいい」と薦め、兄には、化生が自慢にしている『粉引の徳利』を所望するよう助言します。結果はその通りになり和解が成立、この話は当時の茶の湯界で評判になりましたが、粉引の徳利というのがいかに名器だったか窺える話です。もっとも、鈍翁も本気で怒ったわけでもなく、二人の間柄では、ゲーム感覚的なところもあって、名物茶入や茶碗などを取り上げるのも可哀想だと、このクラスの名品にしておいたのかもわかりません。

 「自叙益田孝翁伝」には、これと別に、鈍翁と化生との間に、別の徳利をめぐる出来事が語られています。鈍翁は宋胡録(すんころく)の徳利という珍しい品を持っていました。宋胡録はスワンカロークという地名がもとで呼ばれるタイの陶器で、江戸初期に輸入され、柿香合が有名です。鈍翁に言わせると「馬越は徳利が得意で、随分よい徳利を持って居った。私に宋胡録の徳利を持って居られては甚だまづい」。蒐集家としての面目に関わるということなのですね。そこで化生は、なんとか鈍翁にそれを手放させて我が物にしようと、素知らぬ顔で道具屋を使い、鈍翁に売らせようと画策します。しかし結局鈍翁に見破られて、机を並べて毎日一緒に仕事をして居るのに(当時は二人はそんな関係でした)、裏でそんなことをするなんて「君はひどいなあ。道具屋に言い付けただろう」と言われて、「馬越はわあと云うて頭を抱えた」と、鈍翁は面白そうに述べています。

  いずれにせよ、数奇者たちの間では、徳利というものが珍重され、大切にされていたことがわかります。

  萍亭主