今年は三日に初詣に参りました。

 大きなところではなく、近所のお稲荷様、いわば地元の鎮守です。それなりの由緒はあるようで、江戸初期の創建と伝え、一の鳥居には、文政五年(1822)の銘が彫り込まれているので、そこそこ古いのでしょう。初詣以降、毎日お参りに行っています。格別信心深いわけでもなく、今までそんな習慣もないのですが、今年はいよいよ馬齢を重ねたので、健康維持のため散歩を欠かすなという妻の強い指示で、しぶしぶ行なっているだけで、訪ねられるお稲荷様の方も気にしてもいないでしょう。伏見、祐徳(佐賀)、豊川が三大稲荷と言われ、私は一応参拝しているのですが、茶の湯に縁があるのは、伏見稲荷だけでしょうか。社内に、重要文化財の「御茶屋」があり、ここを利休四百年忌の折に見学した覚えがあります(古い話ですな)。後水尾院から禰宜の羽倉家が拝領し、現在は神社の所有で、七畳で、書院造りと数奇屋造りを融合させた、公家好みの代表的な茶室として有名ですが、現在は昔ほど、取り上げられる事は少ないようです。それよりも「ツボツボ」の方が、有名かも知れません。「でんぽ(田宝)」が本来の名で、伏見稲荷で土産物として、江戸前期から売られた、胴径3〜4センチ、高さ2〜3センチの素焼の小壺、中に社内の土を入れ、それを自分の田畑に埋めて豊作を祈ったものだそうです。神前のお供えの器だ、いや玩具の一種だと別説もあるようですが。それを表千家六代家元覚々斎原叟が楽家に模させ、懐石用具に使ったのが、茶の湯との縁が出来た最初のようです。本来、珍味入れというか、強肴用だったろうと思うのですが、今は、自分の茶事に初めて来てくれた客に出す、紅白鱠をつけるための器としてだけ使われるようです。楽焼が本来であり、楽の本家の作ったものは高価です。茶の湯をよく知らない頃に骨董屋で慶入の品が、バブル絶頂期とはいえ、二十万かで売られており、え、こんなものがと呆れたことを鮮明に覚えています。ツボツボは、千家の替え紋でもあるのは、ご承知の通りですが、誰が用い始めたのか、宗旦からという説を聞いたような気もしますが、やはり原叟時代くらいからではないでしょうか。よく棗などに使われるツボツボ文は、この時期くらいから出現しているからです。稲荷と茶の湯というと、初午茶碗などという話題もありますが、実は今日は、我が家のささやかな初釜、そろそろお客が見える頃、私は今年は何もしないのですが、さすがに着替えを始めないといけないので、取り止めもない話をこの辺で打ち切りにいたします。

  萍亭主