年末、訃報が飛び込んで来ました。

 式正織部流の松本瑞勝先生が、11月29日、亡くなられvました。八十歳でいらっしゃいました。先生は、式正織部流の先代家元の弟子で、家元後見格で、現家元を助け、流儀の発展につくされました。式正織部流は、古田織部の血統が豊後で伝え、明治維新後、東京に出て、その相伝を受けた秋元家が家元として、千葉県市川市に業を伝え、戦後の早い時期に千葉県の文化財に認定されています。松本先生は、佐倉市を本拠とされながら、船橋など千葉各地の茶道連盟でも活躍されました。船橋の宗徧流の古老と大の親友で、我が家は古老の紹介で知り合い、親しくさせて頂きました。我が家で行っていた小寄せ茶会でも、二度、席持ちをしてくださり、我が家が茶会を開くと、必ずと言っていいほど顔を見せて下さいました。茶事にも三度ほどお招きし、楽しいお客ぶりで、こちらも勉強になったものです。護国寺や茶道会館で席持ちをなさると、毎回、珍しい道具や、点前を拝見して、それが楽しみでした。式正織部流は、千家流から見れば、随分変わった点前や、決まり事があるのですが、我々にとって珍しいそういう諸々を、決して誇らずに優しく解説してくださるのが常でした。一度、能登の国泰寺で、献茶をなさった折、台子の点前を披露され、その複雑な手前をスラスラとこなされるのには驚嘆したものです。先生の凄いところは、式正織部流の宗匠として武家諸流派の人たちとも交流があり、武家茶道について詳しいのは当然として、実は、千家系や藪内流など、他の流派の故実や歴史にも詳しく、なまじな流儀茶人よりは、よほどものを知って居られました。明治大正の数奇者の茶にも詳しく、一見識を持って居られました。若い頃に、数奇者で釜博士として知られた瀬川昌耆氏宅に出入りされていたそうで、 その辺から益田鈍翁など数奇者の茶に造詣が深くなったようです。焼物にも詳しく、廃絶した窯や、忘れられているような名工にも詳しく、道具好きな方でした。ですから、どんな席で正客を務められても、話題が豊富で、また持ち前のユーモアで席を盛り上げるのがお上手でした。流儀の拡大にも熱心で、晩年は、織部に縁のある美濃の多治見に招かれて、その地に式正織部流を根付かせる授業に通っておられました。

 最後にお目にかかったのは、去年の船橋茶道連盟の茶会で、席は持たれませんでしたが、我々の案内役をしてくださり、おかげで楽しい時を過ごしました。今年五月に我が家で茶会をした時、お見えの予定でしたが、直前に体調が優れないのでと、キャンセルされ、その後入院されたと聞き、このご時世で、お見舞いにも伺えぬ内に、この始末となりました。悔やまれるのは、地元の佐倉の茶道連盟で月釜をなさっており、一度は伺う と約束しながら、機会を逃したことです。もっとも残念な事は、茶人らしい茶人が、また一人いなくなったという事実です。

 謹んで哀悼の意を表します。

    萍亭主