前回の続きですが、根津青山が、十数年にわたって行った歳暮茶会の趣向を見てみたいと思います。

 春にせよ秋にせよ、同じ時季に趣向を変えながら毎年茶会を催すというのもなかなか大変ですが、歳暮という限られた狭い主題の中で、変化を付けるのは、相当大変だろうと思います。もっとも、その難しさを克服してゆくところが、面白くもあるのかも知れません。根津青山には、道具商や宗匠など、いい参謀が一杯ついていましたし、資金力は言うまでもなく豊かですから、こういうことも平気で出来たのでしょうが、普通にはちょっと考えられません。記録に残っている十一回の道具組の主な品を年次順に並べてみると、こうなります。

 軸  清巌和尚筆「舌上有龍界」一行(蜂須賀家伝来)  、沢庵和尚初雪消息、春屋和尚「向上一路千聖不伝」一行(大正大震災から四ヶ月後の開催だったので。復興の決意をこの文句で表したという)、小堀遠州歳暮歌入文、宗旦餅搗きの文、宗旦歌入除夜の文、遠州・江月・松花堂三筆宗祇法師像画讃、芭蕉歳暮の句入り文、松花堂画沢庵賛大津馬、沢庵和尚筆慈恵大師七猿歌、佐川田喜六宛遠州歳暮の文

 花入  遠州作寂竹一重切、信楽大壺(わざわざ壊して疵物にして用いた)、備前焼、松浦鎮信作竹二重切(銘 乙御前)、蒲生氏郷作南蛮渡り大葭、信楽耳付、大鉈一重切竹、杉木普斎作竹一重切(銘三井寺)、伊賀旅枕、桜皮割子弁当箱(見立て)、信楽耳付

 釜  古芦屋猿猴地紋広口、天明共蓋三猿、天明霰鬼面鐶付、与次郎作(宗旦銘蝉殼)、田安家伝来(銘鵜籠)、与次郎作肩歪み、古芦屋窶れ、道仁作広口枯木手長猿紋、与次郎作肩歪み、古芦屋猿猴地紋広口、芦屋広口

 茶入  紹鴎吹雪、新兵衛作(江月銘霜夜)、宗長小棗、宗意耳付、如心斎判一閑帽子棗、中興名物瀬戸節季大海、中興名物古瀬戸銘大鳥、利休書判木地中次、中興名物節季大海(帛紗に包んで)、利休書判木地中次、中興名物凡手銘選屑

 茶杓  利休作虫喰、織田道八共筒、宗旦筒書付象牙(田安家伝来)、仙叟共筒銘物忘れ、宗旦作象牙玄々斎銘吉夢、茶屋宗古作銘古田、宗旦作銘弱法師、如心斎北野三十本の内銘恵方、沢庵和尚作共筒、仙叟共筒銘物忘れ、江岑作銘大晦日

 茶碗  雨漏大疵物、志野織部(金森宗和銘龍田)、伊賀焼(雲州家伝来)、金海(江月和尚銘曙)、鬼熊川、絵高麗(紀州家伝来)、信楽水の子、青井戸、高麗割高台(石州箱)、伊賀焼大高台、柿の蔕(銘滝川)

 流石に、花入、茶入、茶杓で1回、釜で2回重複使用がありますが、軸と茶碗は毎年違うものです。名品揃いで今も大半は根津美術館に収蔵されているのでしょう。銘に苦心していることも分かりますが、全体に、大侘びの境地を演出しようとしていることは、はっきりわかります。薄茶も披きの間を使うようなことはせず、同じ小間で半東の川部太郎(道具屋で青山の茶会の参謀格でした)に代点させるのが常でしたが、昭和に入ると、薄茶を出すのもやめて、火鉢を囲んで番茶を飲み歓談するという様式にしています。懐石も当時としては、朝鮮や中国の素材を使ったり、器具は名品を揃えたり、また、あるときは、炉に鍋を掛けて、猪鍋を出すなど、砕けた事も試みています。初期の頃は、客の入席と亭主が帰宅するのと同時刻くらいの状態なので、水屋任せで、懐石の内容などよく理解しておらず、客にいろいろ尋ねられてもしどろもどろだったと言いますが、やがて、老熟した亭主ぶりになったと言います。いずれにせよ、これだけの茶会を継続出来たというのは凄いことでありましょう。広い世の中ですから、現代でも、どこかで毎年歳暮の茶会を楽しんでいる茶人も居られるかもしれませんが、ここまでのレベルはなかなかないでしょう。しかし、どんなレベルであれ、現実に歳暮の茶会に参加出来れば、紙上で昔を偲ぶより、幸運なのかとも思われます。

   萍亭主