前回の続きですが、金沢中村記念美術館を見てからタクシーで長町武家屋敷通りに移動。ブラブラします。

 ここも昔来た時よりは、大分変わって来たようで、昔の記憶では、ひっそりとした佇まいだったのが、門内を改造して、カフェ、蕎麦屋、小間物屋などを営んでいるところが増え、観光客もかなりの数がいて、いわゆるお洒落なスポットになってしまっているようです。その中に一軒、これも昔からだったと思いますが、公開している一軒があります。庭が泉水になっている野村家です。

 2階に茶室があり、どうぞ見学をというので、屋根付きの石組で作られた階段を登ります。たしか、昔は、お茶を飲まないと入れてくれなかったかで、私は今回が初見だと思います。不莫庵という名前がついていて、上がると、中廊下を挟んで、左手に引き違い襖で入る六畳、右手に、手前に襖で閉ざされた部屋(三畳)と、廊下に火灯口が開いた四畳半があります。右の六畳の方は、屋根が船底天井で、床は紅葉の一枚板だそうですが、廊下側に、道庫ではないでしょうが、障子の下窓があり、床の隅には、天袋や仕付け棚があるなど、変わった造りです。炉の位置は分かりませんが、やはり下窓のある畳が点前座なのでしょう。客口も、点前口と一緒になってしまうのですが、引き違いを逆にすれば、成り立たないこともありません。

 右手の火灯口を入ると、四畳半はですが、床も何もなく、壁床で、それも火灯口と並んでいるという変な位置にあります。壁床と矩折の面は、六畳同様、階下の庭を見下ろす障子ガラス窓(腰壁上)になっています。その反対側は、隣の部屋と通じる四枚襖です。天井は神代杉の組天井。

 さあ、わからないのは、水屋をどうするかは兎も角、廊下の火灯口は、点前口なのだろう、炉はどこに切ってあるか分からないが、多分、壁床前が点前畳で、亭主床になっているのだろう。客は、隣の三畳を寄つきにして、間の襖を開けて入席するのではないかと、考えたのですが、妻は「おかしい」と納得しません。ちょうど、隣の部屋の廊下側の襖が開いていて、人がいたので、訊いてみました。隣の部屋は、テーブルや電熱器が置かれて、水屋風になっているようです。係の女性は、四畳半に出て来て、こんな説明をしてくれました。この茶室は、昔は卯辰山の方にあったもので、移築した時、方角(位置)を変えて適当に建てたので、客や点前の動線が変になっているんです。床も昔は、火灯口の反対側にあったようです。炉は、今の壁床前を点前座にして四畳半切りにlなっているのですけど、今は、ここではお点前はやらないで、観光の方に点出しでお茶をさしあげているんです」女性は茶の湯に詳しいらしく、テキパキしたご説明でした。成程、変なわけです。何時ごろ移築されたのか尋ねると「昭和初期のようです」とのご返事。移築された時の当主は、金沢人には珍しく茶の湯をしなかったのでしょうか。洒落た風変わりな部屋だから面白いと、上から庭を楽しむだけの単純な住居の一部として移したのか。何にせよ、茶室というものは、一歩間違えると機能しなくなるという鉄則を今更ながら感じました。

 長町武家屋敷通りには、今の金沢の伝統工芸を育成するための工芸館があり、庭を公開していたので、ちょっと覗いてみました。四畳半のこれはちゃんとした席。ただ新しいだけに、どうという事もありません。

 天候が怪しくなったので、近江市場に行き、買い物をした後、四時の新幹線で無事帰京。年寄りにはちょっと長かった旅を終えました。

  萍亭主