今年の東京美術倶楽部アートフェアで、もう一つ、発見というか、新しい知識を得ることがありました。

 ある店で、一つの火入を見かけたのです。あ、八田円斎の作品だと思いました。同じものを持っているからです。下の写真のように、金彩色絵の団扇と扇の絵の品です。

 実は、この品は、私には想い出深いものなのです。昔、京都によく行っていた頃、いつも覗いて見る骨董屋が古門前にありました。茶道具だけでなく、伊万里などの日常食器や古民具など山のように、雑然と並べた面白い店でした。そこで、煙草盆に入った是を見て、一目惚れしたのですが、この店は値札を一切つけていないので、値段は店主に聞き、そこから交渉が始まるのですが、一計を案じて「おじさん、これ、この前、一万だと言ったよね、迷ったけど、それで買うわ」というと、やや疑わしそうに、品を見ながら「私、一万って言ったかな?」「うん、言った」。首を傾げながら「ま、それでいいや」と烟草盆ごと火入を売ってくれました。今更ですが御免なさい。「この火入、何だろうね?」「九谷なんじゃないかなあ」。以来、そう信じて使った来ましたが、ある時、畠山記念館に行くと、一廓に館蔵の八田円斎の作品が展示され、その中に、この火入と同じ物があるではありませんか。びっくりして、我が家の品を持ち込み主任学芸員の武内さんに見せると「間違いない、円斎です」という事。八田円斎は文久2年(1862)金沢の指物師の家に生まれ、茶の湯を京都で裏千家の円能斎に学び、明治末に東京に出て、骨董商として成功し、益田鈍翁はじめ多くの数寄者と交わりました。高橋箒庵の斡旋で、戸越にあった陶工の窯を譲り受け、八田窯を開き華麗な陶磁器を焼き、八田仁清と呼ばれました。福禄堂と号し、昭和11年に歿しています。「東都茶会記」に最初に登場するのは、明治末の馬越化生の茶会の薄茶の代点役でです。

 さて、アートフェアの品をよく見ると、我が家のものと同じようで、少し違う。胴の扇の絵の一つが、軍配になっているし、団扇の中の絵も少し違うようです。「これって数物だけど、絵柄も種類があるのかな?」と訊くと「ああ、それねえ、いくつか絵柄があるようですよ。元々は秋田の佐竹家の茶籠に入っていた九谷焼の茶碗を写したものだそうですから、茶碗に使えなくもないんです」これは初耳でした。「染付を売って大儲けした人でね、円能斎から名前貰って」としばらく円斎についての蘊蓄を聞かされましたが、ここには新発見はなし。「実はうちに同じものがあってね」「へえ、『ふくろく』って平仮名の銘じゃありません?それが多いんだが」「いや『角福』の銘」「ああ、それじゃ同じ手だ」「円斎のお孫さんが道具屋をやっていたって聞いたが」「ああ、もう亡くなりましたよ」。ちなみに、値段は十九万五千円とか。「共箱ですからね」と言われました。数があるものらしいので、共箱でなければ、探すと見つかることもあると思います。

  萍亭主