アートフェアを冷やかすのは、いわば、昔、骨董通りなどの美術店をぶらつきながら、店主と無駄話を交わし、いろいろ知識を得たのと、少し重なるところがあります。

 そんなに長く無駄話が出来る環境ではありませんが、一つや二つは、何か自分の知らなかった知識を得ることが出来るものです。今回もいくつかありました。茶入も例年のようにいくつも出ていましたが、ある店で、遠州箱という表示の茶入がありました。蓋表に銘が書かれた蓋、茶入、仕服が飾ってあります。ちょっと見ていいかと断り、蓋をひっくり返すと、あれ、別に何の箱書もありません。「これ、遠州の箱?」「そうですよ」「蓋の裏に何もないがなあ」「いえ、その銘、その字形が遠州なんですよ」「字形が?」そういえば、古い茶入の挽家の表に、金粉で銘が書いてある、その字形を遠州だの権十郎だのというのは聞いたことがありますが、箱の字もそういう風にいうのかと。でも字形だけで遠州と決めるのも、ちょっとファジー過ぎるような気がしますが、そこが茶の湯の世界か。ただ、やはり、ちゃんとした箱書でもなく、箱蓋の字形だけで、誰々箱と通用しているのか、今度、懇意の道具屋さんに訊いてみようと思います、

 茶杓も例年よりぐっと少なかったようです。現代の家元のものは一つもなかったと思いますが、遠州が一本、玄々斎が一本、権十郎や宗中がいくつかありましたが、一本、全く知らない人の茶杓がありました。筒に「本多き(けものへんに、奇)蘭侯作」と、書かれて、「椎翁」の署名があります。聞いたことのない名前。「すみません、あの本多って、どこの殿様?」と訊いてみると、「ああ、あれは、神戸藩(伊勢)の初代藩主で、文化人だったそうで、遠州流の茶人です」「神戸藩初代?じゃ、忠則?膳所藩の分家だよね」「そうそう、よくご存知で。何とかいう茶名もあるんですが、号の方が有名で」「椎翁って?」「それが分からないんです。茶人系譜にもなくてね」」実は、私は、昔、江戸の大名について勉強する機会があり、記憶を絞り出して言って見たのですが、道具屋さんの答えはは調子を合わせてくれただけで、実は忠則は、この家の初代で、神戸藩の初代藩主になったのは、二代目の忠統でした。帰宅後調べてみると、新編茶道大辞典(淡交社刊)によれば、この人が、この号で文人大名として知られ、寺社奉行、若年寄として享保の改革に従事、名物道具を結構所持していて、その多くが、松平不昧に渡ったとあります。それで有名のようですね。ただ、茶名も、流儀の師系も書かれていません。また、末宗廣氏の「茶人系譜」には、本多姓の大名は二人記載がありますが、忠統は載っていません。後年、研究が進んだのでしょうか。いずれにせよ、大名茶人については、少しは勉強したつもりですが、本多忠統は全く知りませんでした。一つ新しい知識を得られたのは、アートフェアに行ったおかげと言えましょう。道具屋冷やかしもこういう知らない事を識るきっかけになるものです。ちなみに値段は十五万円でした。他の出品茶杓に比べれば大分安いですが、知る人ぞ知る茶人の作で、筒の作者も無名では、このご時勢、なかなか手を出す人はいないかも知れません。

  萍亭主