東京美術倶楽部アートフェアの冷やかし歩きで、お客さんと道具屋さんの会話で小耳に挟んだ言葉で多かったのは「茶会がないんでねえ」でした。

 なにしろ茶会が少ないから、道具も動きが鈍いという状況は依然あるのでしょう。そして、「これは各箙点に向いていると思いますよ」とか「各服の濃茶碗にピッタリでしょう」など、小さめの茶碗を薦める会話も耳にしました。ご時勢ですね。そう言えば、雄大な茶碗が昔より少なかったようにも思います。ご時勢と言えば、以前は品物をいじくり回す人が多かったのが、道具屋さんの方から「どうぞ手に取ってご覧ください」と勧められないと、皆さん遠慮しておられるようです。ある店で、小ぶりの志野織部の茶碗を眺めていると「可愛いでしょう、各服に向いてるんで人気です、手に取って見て下さい」と勧められ、高台を見て「瀬戸だね、春岱(幕末の陶工)くらい?」「そこまで下がらないと思いますよ」とちょっと嫌な顔をされました。再興織部はいつまで遡れるんだっけ、などと頭を整理しながら、道具屋さんの知識を測るのも冷やかしの一興ではあります。ともあれ、その道具屋さんが力説するには、これからは大きい茶碗よりこういうものが茶会では必要になり、人気も出るということです。別の店で、弘入の光悦写赤楽茶碗を、女性客が「濃茶には少し小さいかしら」と気にしていて、店主が「そんなことはありません、今は各服点ですから」とやり合っているのを耳にしました。各服はかなり市民権を得ているようです。

 さて、自分の好みで、金があったら欲しいなあと思ったのは、益田鈍翁の所持だったという根来塗りの大きな水次(湯注?)を、花入に見立てた品。唐招提寺形と箱書にあるそうで、唐招提寺に同型のものが存在するんだろうという話。一緒に飾られた鈍翁の「茶是常識」の横物は、あまり珍しくもありませんが、花入とはよく取り合っていました。珍しいなと思ったのは、土見風の生地に、染付丸紋を散らした水指。御室焼だというので「印があるんですか?」と訊くと「印はないんですが、土が御室の土ですよ」と蓋の裏を見せてくれ「明治くらいのものでしょう、そう古いものものじゃない」。それでも五十万円です。「仁清写し」と道具屋さんは言いましたが、仁清に染付ってあったっけ?でも確かにこの意匠のものはどこかで見たような気もするが、最近の記憶力の低下で思い出せません。他に、この手のものでは、こんな大きいのは見たことがないなという和蘭煙草の葉水指、同じく、たまに見るがこんな大きいのは初めてという古清水色絵の傘形吊り花入が目に付きました。もっとも印象に残ったのは、茶道具ではなく、鑑賞陶器の店で出会った色鍋島の中皿。色紙重ねというのか、折り紙といえばいいのか、近代的なデザインの器形で、濃い紫、黄、緑の三色に分けて全面を塗りつぶし、裏は鍋島約束の染付唐草紋高台、そのシュールさは、近代作家の作品と言われても信じてしまいそうなモダン性があって、かって見た色鍋島展でも見なかった類のもの。江戸の昔の工芸の凄さに、今更ながら感激しました。

   萍亭主