先回に続き、「茶道美談 風流の友」に載る、紀州家開祖、徳川頼宣の逸話ですが。
紀州家には、頼宣が家康から譲られた虚堂の墨蹟があったそうです。虚堂智愚は、南宋の名僧で、弟子の南浦紹明が、日本にその法を伝え、その法統から大徳寺、妙心寺が生まれたので、臨済宗では特に大切にされる人で、その墨蹟は茶の湯の世界でも貴重にされたのはご承知の通りです。さて、ある時、当時の老中たちが、その墨蹟を是非一度拝見したいと申し入れてきた。頼宣は快諾して、日を決めて招きました。老中一同、今で言えば内閣閣僚全員が来訪するという、晴れの茶会です。当日、重臣の一人が頼宣の名代として、老中たちを中門に出迎え、丁重に数寄屋に案内しました。客が揃ったというので、頼宣が数寄屋に出向こうとして、書院を通ると、違棚に箱から出した虚堂の軸が置いてあった。頼宣は驚いて、道具奉行の鴨居善兵衛、茶道の千宗左を呼び「何故虚堂の墨蹟を掛けない」と訊くと、二人も吃驚して「まったく間違って他の軸を掛けてしまいました」と平謝りです。頼宣は二人をさんざん叱責しましたが後の祭り。そこで頼宣は思案して、筆頭家老の渡辺直綱を呼び、旨を含めて、数寄屋に行かせ、重々しく口上させました。「御所望の墨蹟は、権現様(家康)から、お手ずから拝領したもので、初めから掛けておくのは勿体のう御座います。皆様がお入りになるのを待って、大納言様(頼宣)が御自分で直々にお掛けになる思し召で御座います。さりながら、それまでの間、素床(何も飾らぬ床)にしておくのも如何かと存じ、仮に他の軸を掛けておきました。只今、大納言様が参られお掛けになります」。これを聞いて、客たちは「成程、それはご尤もなことで御座います」と応じ、直綱はすかさず「茶道、参りて床の軸を外せ」と言い、千宗左が軸を外して下がると、入れ違いに頼宣が右手に矢筈、左手に虚堂の軸を持って悠々と現れ、軸を掛け替え、そして形の如く茶を点て振舞った。少しもわざとらしいところがなく、客たちは、まことに独創的で時宜に適した見事なやり方だと、大いに感心したといいます。失敗をカヴァーしたという逸話ですが、確かに茶の湯では、よく間違いや失敗は起きるけれど、でもこんな話ってあるかなあ?まさか、墨蹟を、古筆切や一行物と間違える筈もなく(掛けた瞬間気付くでしょう)、他の墨蹟と、ふと勘違いしたということになるのでしょうが、にしても、言われるまで気づかないんじゃ千宗左も頼りない。墨蹟は、細かくて難しく、よほどの学識がないと、意味はおろか、読み下しも出来ないのは、普通だと思いますが、客の老中たちも、最初の軸を見て、これが虚堂かと思ったのか、何か変だなと思ったのか、触れていないのでわかりませんが、その辺も気になります。まあ、ともかく茶の湯で何か失敗した時、客に気づかれぬよう、うまく自然体にカヴァーするのは亭主の器量でしょうが、我が家でも茶の湯で失敗の経験は勿論ありますし、それほど上手くカヴァー出来たことは、あまり経験がない。さりとて、軸を掛け違ったことは流石にありません。
ちなみに、虚堂の墨蹟は、国宝になっている東京国立博物館の通称「破れ虚堂」と大徳寺所蔵のものの他、十数点が現存しているそうで、紀州家の虚堂も、昭和4年の大入札で売り立てられていますが、これは六代将軍徳川家宣の遺物として紀州家には幕府より贈られたものということなので、この話の軸ではありません。紀州家には二本虚堂があったのか、ま、あんまり真剣に考えないこととします。
萍亭主