何となく、茶の湯の経済面(?)のことに触れて来ましたが、私がずっと疑問に思って来たことがあります。
茶事に招かれた時に、現在では、おおむね、現金を包んで行くのではないでしょうか?カルチュア教室の稽古茶事のように、会費制で、はっきり決められている場合は勿論ですが、そうでなくとも、通常の茶事でも、金額はともあれ、そうするのが普通のようです。しかし、この風習、何時ごろからそうなったのでしょう?資料は何もありません。しかし、江戸時代以前は置いておいて、明治以降、例えば、数奇者たちの間で、盛んに茶事が催された頃はどうだったのか?「東都茶会記」や「茶会漫録」を読んでも、その辺のことは書かられていません。誰だかの新席披きに、一同で祝金を集めたという記事があったとは思いますが、日頃の茶会ではどうだったか触れられていない。しかし、大富豪の益田鈍翁に招かれた後輩の高橋箒庵や、主人筋の三井華精が、わざわざ現金を包んで行くだろうか、富豪同士の付き合いで、少額の金を贈る、そんな必要もないでしょう。日本的習慣で、手土産くらいは持参したかも知れませんが、それも記述されていません。
ところで、今から半世紀以上前に書かれた、佐々木三味著「お茶事」には、こういう意味の記述があります。「茶事に招かれたら、原則、茶事に招き返すのが礼だけれども、なかなか実行しにくいから、当日、代わりに手土産を持参する。これはズルイとも言えるが、好意に対する答礼で、美しい人情の発露と考えれば、それでもよい」と回りくどいですが述べ「手ぶらで行くよりはるかにいい」とし「ただ、手土産がなかなかに苦労の種」で「亭主が茶によって生計を立てたり、収入の道を考えている人なら、現金かギフト券がいい」とします。つまり相手が専門の茶家なら、という事かも知れませんが、その範囲を決めるのは難しいと感じます。この本は、細部に渡って細かく丁寧で、現金の包み紙の上書きの書き方にまで言及し、物品でする場合も「一人千円の物をそれぞれ贈るより、連客で申し合わせ、5人で五千円の品を贈る方が晴れがましく見え、中途半端な物を沢山貰うより、亭主の方も嬉しい」とまで注意しています。そして、現金であれ、品物であれ、金額の基準は決めにくいが「しばしば見聞するところであるが」と前置きして「今度の茶事は〇〇の懐石だから一人前三千円はする、あそこは✖️✖︎が出入りだから、千五百円の懐石で茶菓を入れて二千円というふうに推測する」やり方です。手料理という時はどうする?と野次りたくなりますが、半世紀前は、これが普通だったのでしょうか。ただ、こういう考えは「茶事が一種の取引になる。どこまでも双方が誠心誠意でありたい。であれば、貧者の一灯も長者の万灯に匹敵する」と、難しい言い方ですが、返礼は分相応でいいとも取れる言葉が書かれています。その後、各流種々の茶事の指導書が出ていますが、返礼のことまで詳しく触れている本はないんじゃないでしょうか(あまりちゃんと読んでないので責任は持ちませんが)。ただ、この本に書かれている「手土産に、花・香・茶・菓子・茶器などは避けた方が良い。」というのは、何か他の本でも見たような気がします。亭主の準備する物を持ち込むのは種々の問題があるというのですね。
考えて見ると、最初の疑問、近代数奇者たちは茶事の返礼は、茶事で招き返すという王道で済ませていたのかも知れません。そして、今の現金を包んで返礼というのは、始まりの時期はわかりませんが、半世紀以上前には、もう定着していたのは確かです。現在でも、茶事に招かれた時の返礼の額の決定には皆、悩むというのが現状なんでしょうが、相手とか状況で、なんとなく相場は出来ていくのでしょう。いっそ、全て会費制としたら明朗と考える方もあるかも知れませんが、それじゃ雅がない、稽古茶事とどこが違うということになりますし、客の気分はどうあれ、亭主側は、茶事を収益のためにやってはいけない、人を饗応する道が茶の湯であるという王道に立つべきで、返礼を期待してはいかんのだろうと思います。
さて下世話な話はこれくらいにして、明日はブログを休みます。
萍亭主