カネの建水、陶磁器の建水の他に、他の素材の建水もあります。
他の茶道具、水指、茶碗、蓋置などにはあるのに、建水に使われない素材にはガラスが、あります。ガラスは透明性が高いだけに、汚れた水を入れる建水に使うのは、想像しただけで、躊躇するのでしょう。瓢の炭斗があるように、二つに切った瓢箪の下部を漆で固めたものの建水があります。裏千家の又玅斎の好みに、大きな孟宗竹を繰り抜いた建水があり、竹を割り、継ぎ合わせた建水は、裏千家の玄々斎の好みがあります。表千家了々斎の好みに、木製の桶、大和吉野のつるべ鮨の容器をモデルに作った鮨桶建水があります。しかし、この木竹製のものの中で、最もポピュラーで、また使い易いのは、建水の話の発端になった曲(まげ)建水でしょう。席中の他のどんな道具とも衝突せず、邪魔せず、取り合わせしやすい。清潔感もあり、仮に茶碗の縁があたっても、破損の恐れは全くない。シビアに言えば、曲水指を使った場合のみ使えないでしょうが、曲水指を使うことなど、よほどの茶入を使う特殊な時しか考えられないし、普通の茶会で、そんなことなどあり得ないでしょう。曲建水を考案し使用した紹鴎利休は、やはり偉い。曲建水の唯一の欠点は、汚れて古びて来ること。陶磁器やカネと違い、時代色が付くわけでなく、ただ汚らしくなるのが困る。春慶塗や溜塗の曲建水は、それを救うためか、もしかしたら再生用に思いついたのかも知れません。塗り曲の建水も、なにか温かみがあって、薄茶の席などに使いよく、私は好きですが、やはり木地曲の建水の格にはかないそうもありません。その木地曲に、彩色のあるもの(九州の細工のでしたか?)や宗匠の花押のあるものなどは過ぎたるは及ばざるにだと思います。実は一度、こんな試みをした事があります。新しい白木の曲建水を、曲げ物細工の某店で、透き漆を掛けてもらったのです。これで汚れずに、かなり長期間使えるのでは、と思ったのですが、木地の見た目の清々しさと、同じような綺麗さでも、何か清々しさが違うのですね、自然と養殖の差とでいうのですか。それと、載せた柄杓が滑り易いのが不評で、ものによっては、中に仕組んだ蓋置も滑り易い。結局あまり使わないまま眠っています。
さて、つまらぬ建水話も、そろそろおしまいにしますが、こうやって見て来ると、建水はどうしても脇役の運命、脇役として、自己主張が強すぎて和を乱してももいけないし、さりとて、きちんと自己を確立せず、チープ過ぎて、逆の意味で和を乱しても困る。基本的に華美なものは、安っぽさと隣り合わせの危険性があります。色絵や交阯釉の派手な建水を見かける事がありますが、やはり建水に適さぬように感じてしまう。こうして考えてゆくと、名建水もいろいろあるし、伝来の品もあるでしょうが、結局、単純な木地曲の建水が、脇役としての力を一番発揮するのではないか、結局、このシンプルさを超える事が出来ないのが建水の宿命では、というような古人の言葉をおしまいにして、建水話を終わります。
萍亭主