先回の続きですが、どうも、建水というものは、一般に印象が薄いもののようです。
お茶会に行った人に、会の様子を訊いて、話が建水に及ぶと「建水?はて、何だったっけ」となる人が、多いのではないでしょうか。私自身も、茶会の帰りに、拝見した道具を思い浮かべる時、「えーと、何だっったか」と思い出すのに苦労するのは、きまって建水です。つまり陰の脇役、なまじ印象深くては全体の調和が乱れるのかもしれません。そもそも建水は、最初は台子皆具の一つだったとされ、飾られる道具だったとされます。これは現在でもそうではあり、台子あるいは長板総飾りなどの点前だと、建水も晴れがましく人目につくわけですが、唐銅であれ陶磁器であれ、同じ模様で並ぶと、水指や杓立に圧倒され、やはり脇役の感を免れません。こういう晴れの場でも、水屋に持ち帰られる時は、建水回りという、お客に不浄のものを見せまいと背中回りにするという作法で、日陰者扱いから逃れられない建水は、可哀想でもあります。こういった皆具の建水を独立させて、普通の点茶に使うことも出来るのですが、そうすると奇妙に「あ、あれは皆具の離れだな」と、察知されるもので、その辺、難しい。建水も、他の道具と同じく、流儀の家元による好み物もあるわけで、流儀の茶に執心の方は、そういう品をお使いになるでしょうし、もちろん家元の在判や箱書の品もあります。しかし、会記にズラリと箱書付きが並んで、それが建水にまで及ぶと、豪華だなとか、贅沢なとか、感心する前に、どうも重ったるい感じがして、落ち着かないというのも難しいところです。さりとて、他の品がナミの物が並んでいるのに、建水だけ〇〇斎箱というのも困る奇妙なものです。広い世の中ですから、建水好きとか、蒐集されている茶人もあるかも知れませんが、しかし、そういう方々でも、今度、いい建水を手に入れたから、これを披露する茶会を開こうなどというのは、なかなか難しいのではないでしょうか。建水を主役に一会を組むというのは、建水が名物級だとしても、どうも想像しにくくあります。難しいといえば、建水は、昔の茶の湯の本には「水覆」「水翻」「水下」「水倒」などと表記されていて、最初は読めないし、何のことかとと悩んだものです。全部「みずこぼし」と読むので、昔の茶人は、会話の上では、単に「こぼし」と言い、それで通用して、「けんすい」とはあんまり言わなかったようです。そういえば、我が家の先代も、時々「こぼし」といっていたような記憶がうっすらと残ります。今、この表現は、私は殆ど聞きませんが、上方などでは、まだ使われているのでしょうか?
明日は、ブログを休みます。
萍亭主