先回の続きですが、京都旅行三日目の昼食は遅い、逸翁記念館のレストランで、優雅にフレンチということになりました。

 レストラン雅俗山荘は、逸翁旧宅のダイニングとサンルームを改装したもので古い家具、調度などもあり、素敵な雰囲気です。客は我々以外、四人ほどの一組だけ。午後1時と遅いせいもあるでしょうが。食後は、旧邸内を見学二階の書斎、応接室、夫人の居室、浴室など周り、また、いくつかの室に、逸翁の収集品や、テーマごとに、逸翁の生涯に関する資料、写真、解説などの展示があり、面白く見られます。玄関を出て、左側に庭園につながる門があり、入るとすぐに、建物があります。逸翁没後に作られた茶室で「人我亭」といい、六畳と四畳半続きの茶室で、四畳半の方には一応躙口がありますが、繋げて広間として使う方が勝手が良さそうです。毎年1月25日に逸翁の命日に合わせ、逸翁白梅茶会が、一席二十五人で行われるそうですが(大分ぎゅう詰めでしょうね)、この2年間は御多分に洩れず中止だそう。

人我亭の躙口。

庭側から見た「人我亭」。扁額は松永耳庵の筆だそうです。

 下り坂になった広い庭園から、先ほどの雅俗山荘サンルームが見えます。写真を撮るのが下手で、庭の広さを撮れず、庭の隅にある茶室「費隠」も、全体像がうまく撮れませんので、二枚目は記念館のも二を拝借。解説によると、昭和19年、戦火の激しくなった頃ですが、京都の寺院から移したもので、扁額は近衛文麿の書だと。なんという寺から移したのか、席名の由来は何かも解説はありません。費隠というと隠元禅師の師匠の名ですが、黄檗宗の寺にあった?

 二畳隅炉は、妙喜庵の待庵と同じですが、壁や障子の様子もあって、随分印象が違います。この写真右側に、花頭窓と古文書の下貼りがあるのですが、撮り損いました。

 一段高い洋館に付属して、昭和12年に作られた即庵があります。三畳台目で、二方面に土間を廻らし、十人の客がそこに置かれた椅子で、茶室に座ったのと同様の目線、高さで、茶を喫する工夫で、周囲はガラス戸の明るい、まさに現代風の、逸翁の好みとして、最も有名な茶室です。ガラス越しの撮影で、これもうまく撮れていませんが。即庵の扁額は畠山即翁の筆とか。

 こういう土間を廻らした茶室は、遠山記念館にあるのが2年早く(当ブログ2020年11月5日参照)作られたはずですが、あちらは広間で、これほど茶室らしい感じはありません。庭を出て、受付に近い新館で阪急電車をイメージしたというと館内の電鉄、百貨店経営者、宝塚、東宝の演劇映画事業の運営者としての多彩な活躍(財界人、政治家としての活躍もあります)の展示を見学、伝記映画上映中の施設にも入りましたが、時間がなくなり、帰途の新幹線の時間が迫ったので、早々に退出、せっかく池田まで来たのだからと、大急ぎで呉服(くれは)神社に参詣。

 梅田に出てJRを乗り継ぎ、新幹線の「ひかり」で帰京。家に着いたのは午後8時半。疲れはしましたが、無事、三日間の旅を終わりました。

  萍亭主