2019年秋以来の京都に行って参りました。

 若い頃は、京都に行くとなると、朝早くの新幹線に乗り、9時くらいに着いて、夕刻まで、あちこち見て回ったものですが、老化の今は、のんびり遅く出発、京都に着いたのは午後一時前。新幹線の空いている事、割引のきく「ひかり」に乗ったのですが隣の車両など無人でした。八条口からタクシーで大徳寺へ。昔は、バス、電車で走りまわったものですが、近年は、どうもタクシー頼り。狭い京都は、料金があまり掛からないのが助かります。観光だというので運転手さんに珍しがられて、肩身の狭い思い。車窓から見る街は、車の交通量も少なく、渋滞もなく、すいすいと堀川通から北大路へ、大徳寺に到着。

 山門金毛閣は変わりおりませんが、後ろの仏殿は全面修理中で、シートに覆われていました。横を抜けて、目的地の大光院へ。総見院の前を左折し、高桐院、玉林院、龍光院を過ぎて、北大路に出る直前に、大光院はあります。いつも龍光院あたりで引き返してしまうので、ここに来たのは、二度目くらい、何しろ、今回が初公開だという事で、これまでは縁なしでしたから。門は古く、慶長4年(1601)の建立だとか。

 

 門内は例により撮影禁止。検温、消毒はなくて受付を入ります。そもそもこの寺は、豊臣秀吉の弟、大和大納言豊臣秀長の菩提を弔うため、秀長の死の翌年、文禄元年(1594)、領地の大和郡山に建てられました。開基は千利休と親しかった古溪宗陳和尚です。大和大納言家が断絶した後、家臣だった藤堂高虎が尽力し、大徳寺山内へ移転し、伽藍も全て高虎が寄進したと言います。ただ、それらは江戸後期に山門を残し焼けてしまい、現在のものは文政7年(1824)の再建だとか。しかも、この寺は、最初は山内から千本通へ抜ける道と今宮神社参道の交差点の西南隅、つまり、弧篷庵のずっと手前にぁったのが、昭和30年、市立高校の敷地として収用され、現在の場所に移築したそうで、敷地も三分の一程度に減っているようです。さて、禅宗様式の庭横の門から入り、本堂に上がると、これも決まり形の、前面が礼の間、室中、旦那の間、後ろが衣鉢の間、眠蔵、書院の間の六室に分かれた禅宗様式。室中の本尊は、開基の古溪和尚で、傍に豊臣秀長の像が祀られています。襖絵は駿河台狩野家による雲龍図ですが、今一つ迫力がなく、建築全体も他の塔頭の古い建築に比べ、重厚さがありません。本堂前の枯山水の庭も、苔に覆われた大きな丘が二つと白砂だけで、目立つ石や木もない、よく言えば簡素、悪く言えば貧相です。回廊の礼の間の横側に、茶室の露地門があり、茶室もすぐ側に見えます。茶室の水屋への入口は、本堂から庫裡へ行く廊下のところから、渡り縁で入れるようになっています。茶室の名は「蒲庵(ほあん)」と言います。中身については次回。

 萍亭主