茶筅の話が出たついでですが、思い出話を一つ。
現在の茶筅の祖形は、珠光が大和高山郷で作らせたという伝承があり、今でも高山郷(奈良県高山町)が、生産量のシェアのほとんど全部を占めているのは、ご承知の通りです。昔、この町の「茶筅の里」を訪ねたことがありますが、ここの展示館で、初めて、茶筅って、こんなに種類があるのかと、驚いたものです。それまで、茫漠と「荒穂、中穂(中荒穂)、数穂」の三種類で、素材が白竹と煤竹があるくらいしか知識がなかったのが、ずらりと各流儀好みや、昔の茶人の形など、多数の展示を見て感心したものです。ここの老舗は谷村丹後ですが、たまたま休店で、翠竹園というお店に入り、天目用の茶筅、茶箱用の茶筅、筒茶碗用の茶筅など、初めて知ったものを購入して、以来、数年、こことのお付き合いが続きました。しかし、これらの茶筅は、今では、この店だけでなく、どこでも造られなくなっているようで、その時買った茶筅も古くなり廃棄して、茶箱用以外、今は一本もありません。そういえば、あんなにあった各流の好みの茶筅も、今は本当に作られているのでしょうか?茶道具屋に行くと、荒穂、中穂、数穂の定型(千家式)があるだけで、各流適当に使っているのではないか、それとも、特注されているのか?
「茶器とその扱い」(淡交社刊)には、昔の「湖月抄」という本を引いて、数穂は真で穂先が57本、中穂は行で穂先46本、荒穂は草で穂先32本、他に蓬莱堪四郎考案の80本穂先があると紹介しています。そして本文では、この穂先の数は流儀によって違うし、だから五十種類以上の茶筅の型があり、実用上、穂先の数は、ほとんど問題ではなく、濃茶は荒穂か中穂で点て、数穂は薄茶に用いるのだと解説しています。ただ、この「湖月抄」の記事は、何かおかしい。今は、裏千家では、濃茶を点てる荒穂が真、薄茶用の数穂が草と規定しているのと逆なのは気になりますし、穂先は偶数でなければ変なのに(茶筅作りは、竹を二、四、八、十六と等分して行き、そのどれかの点で何等分かしてゆくので、偶数になる)、57という数字が出てくることです。ともあれ「茶道具入門」(講談社刊)には、紀州家伝来の茶筅から四十八種類の型の穂先数を紹介するという蘊蓄を傾けています。一部を少し紹介しますと、32本が千家大荒穂、46本が千家中荒穂、56本が遠州流、千家流宝萊、64本が千家常穂、玄々斎好み、金森宗和流、遠州流本形黒竹、68本が久田宗全形、72本が千利休、織田有楽流、藪内流、細川三斎流、松尾流、80本が千宗旦形、庸軒流、不昧流、120本が千道安形、石州流、清水道簡好みなどと書かれています。しかし、前述のように、現代、この茶筅の内、どれだけの種類が作り続けられているやら、私は大変疑問です。少々の違いには目を瞑って、同じか、それに近い穂先数の茶筅で、流通しているもので代行しているんじゃないか、などと思うんですが。120本と圧倒的に多い石州流はどうされているのか、茶道具店では見かけないように思うので、特注でもされるのでしょうか。
萍亭主