日常的な生活の中に、茶会を催そうというテーブル茶会、反対ではないのですが、少し意見があります。以下は、私の勝手な思い込みの言い草なので、どうか、お腹立ちのないようにお読み下さい。
例えば、織部流は、その茶法を、式正(書院)と侘び(草庵)の二つに、はっきりと分けていると聞きます。それと内容は違いますが、仮に、式正と侘びに分けて、茶会を考えるのは、どうでしょう。従来の茶室で行われる茶会(茶事)は式正、茶室のない自宅で行うのは侘びと規定しましょう。「侘び」は、もともと、不足、不自由、満ち足りないといった意味で、現在、自宅が狭くて、茶室も持てないという事情は、まさに現代の侘びと言ってもいいのでは。式正と侘びのやり方は、当然違っていいので、従来の茶会の方式を、侘びに無理に当て嵌めようとすることは全くありません。ただ、今の江戸千家の提唱されているテーブル茶会は、精神はよくわかるのですが、方式が自由すぎるというか、なさすぎるように感じます。茶会である以上、もう少し式法を決めておいた方がいいのでは、と思います。日常の中とはいえ、そこに「ハレの世界」を演出しないと、ただの会食に埋没して、最後の喫茶も、点前なんかなしでとか、抹茶じゃなくコーヒーがいいとかになってしまいかねない。私案ですが、こういう式法はいかがでしょうか。客はドアベルを必ず二度鳴らす、迎えは、半東がする。半東は家族か、友人を頼んでもいい。玄関でコートを脱ぐなど身支度を整えたら、半東は「お手をお洗い下さい」と、トイレに案内する。用を済ませ、手も洗ったら、着座まで半東が案内する。テーブルには、必ず、花を飾る。花器は、洋風であれ何であれ、場の雰囲気に合えばいい、いわゆる茶花でなくてもいいが、茶花でも構わない。洋室じゃ掛軸は無理でしょうから、季節の花を御馳走にする。軸を掛ける壁面があったり、色紙立てが有れば、飾るのも自由です。そして、香を焚いておきます。西洋風でも、線香でも、後の料理と勘案して選べばいい。客が着座したら、亭主が現れ、立礼を交わす。着座して挨拶、多少の歓談をしたら、「何もありませんが」と挨拶して、亭主と半東で料理と酒を持ち出す。亭主、半東も席に着き一緒に食べます。料理は、洋風、和風、中華、なんでもよく、器具も勿論自由。酒の種類も自由ですけれど、最初に出すのは麦酒(ノンアルコールでも)にして、これを主客で一杯だけは注ぎ合う、これを盃事の儀式にするのはどうでしょう。取り皿も含め、銘々で使う器は、盆かランチョンマットに載せる。基本的に、軽めのパーティ風料理で行きたい。締めは、少量の混ぜご飯、カレーライス、炒飯など、前の料理に合わせればいかが。食事が済んだら「一服差し上げたいと思います」と挨拶し、客は「お手洗いを拝借」と挨拶し、順次トイレに立ち、用を済ませ手を洗う。その間にテーブルを整理し、菓子を出す。現在のテーブル点は薄茶点前だけですが、是非、濃茶点前も決めて頂きたい。沸かしたての熱湯なら、鉄瓶やポットからの湯でも、濃茶は点てられるはず、今の盆略や立礼で濃茶点前がないのは、濃茶は格の高いものだからという概念からだけだと思うので、テーブル茶会は是非濃茶がありたい。これで、かなり茶事らしくなります。濃茶が済んだら、もう一度、香を焚き、その香りの中で、ゆっくり干菓子と薄茶を楽しむ。終われば挨拶を述べあい、最後は立礼を交わし、亭主は客を送り、戸外まで出て見送る。以上、現代の侘びの茶事というわけです。従来の茶会も死守しなければいけないでしょうが、「自宅に人を招き茶を振る舞う」という茶の湯の本意を残してゆく方法の一つとして、アリなのだろうと思うわけです。
萍亭主