床に掛けた松平不昧公の口切の文の軸、これは、昔、まだ、それほど茶の湯に詳しくない頃、東美アートフェアで、池内美術から求めたもので、不昧には偽物がないこともないのですが、池内克哉氏(故人)が扱うものなら、信用していいのだろうと、貯金を叩いたものです。

 軸に合わせて、花は、これも炉開き頃の定番ですが、椿(西王母)と榛を入れました。花入は、竹の二重切りの掛けで、北村幽庵の作、「時雨」という銘がついています。幽庵は、堅田幽庵とも呼ばれ、道随と号し、宗旦四天王の一人、藤村庸軒の弟子で、料理の幽庵焼の発明者で、味覚に優れ、種々のエピソードが残っています。琵琶湖畔の天然図画亭は、この人の遺構だと言われます。この花入は、庸軒好みと同様、中が黒漆塗りになっており、三谷宗鎮(表千家、広島の茶家)の所持で、その形見分けとして、明和5年(1768)に廣褒という人に贈られたと箱にあります。
 
 香合は、これも定番ですが、「開炉の三べ」と言い、織部、瓢(フクベ)、伊部のどれかを、あるいは複数を使うと良いという都市伝説(?)、その織部のはじき香合を飾りました。勿論、桃山時代とかいうような品ではないのですが、私には、少し思い出がある品です。先代の遺した物なのですが、お世話になった先輩の奥様に差し上げたのですけれど、二十年以上の後、先輩も亡くなり、奥様もお茶をやめるからと、返して下さった品なのです。よく、昔の茶人の言う里帰りが、自分の身に起きるとは思いませんでした。奥様は、その時、何かの折に、畠山記念館のT先生に、この香合を見てもらい「そう古い物じゃないが、珍しい手だから大切になさい」と言われたと話されました。箱には誰のかわからない茶人の花押があります。

 釜は、大西家の二代、浄清作の平丸釜を使いました。桐の葉の文様があり、肩に筋が一本丸く廻らされていて、少庵好みと箱の見出しにありますが、同様の釜が織部好みと呼ばれることもあると聞いたことがあります。益田鈍翁のお出入りだった釜師、立松山城が極めを書いていて、箱の見出し札から、三輪善兵衛家の旧蔵だと、道具屋さんの話でした。結界は、古い水車の羽根の板を加工したものです。

 続きは次回に。

   萍亭主