巣籠もり状態に慣れきって、外出が億劫になってしまった体を奮い立たせて、日本橋に出かけました。
郊外に住んでいると、都心に出ないで生活を賄う癖がついて、渋谷駅の地下鉄銀座線の駅が、複雑な経路で遠くなっているのにびっくり。何とか日本橋に辿り着きました。お目当ては、高島屋で開かれている「楽吉左衛門襲名披露展」。十五代当主が隠居して直入を名乗り、十六代が襲名して、もう一年位経ちましょうか、いよいよ記念展のわけ。広い会場に、人影はそれほどでもなく、作品がゆったりした空間感覚で並べられています。会場入り口に、大徳寺管長明浦老師の「楽」の一字の軸が飾られ、会場正面中央には、当代三千家家元の軸が一本づつ掲げられているのが、この家の立ち位置を示しています。作品は黒、赤の茶碗がそれぞれ二十個づつ、水指二つに花入一つ、参考品として鬼瓦一個です。並んだ茶碗の最初の印象は、ああ、割と尋常だなぁという感想でした。先代、先々代が、割と前衛的というか、豪快というか、その方向だったのに比べて、という感想です。大きさも、そう大きいとも見えませんでしたが、ただ、これは広い展覧会場で見ている場合の錯覚という私の未熟さもあるかも知れず、茶席に入ると、それなりに大きいのかも知れません。何しろ、手にとって見る事厳禁なので、手にとった時の感じや、重さ、高台の土味や削り出しの様子など、全く知ることが出来ません。図録には、多分それぞれの高台の写真などもあったかも知れませんが、最終日に近かったので生憎完売で見られず、判りません。黒茶碗は、釉薬が艶々と光沢のある華やかなさがあり、くすんだ感じはなく、全体に厚く掛けられていて、一部、釉薬が抜けて土の見える感じの品もありましたが、模様のあるものは全くありません。私の乏しい知識では、歴代の誰に似ているなど言えませんが、艶のある黒釉は、了入などで見たような気がします。赤茶碗の釉薬は、逆に艶が全くなく、赤味の濃くない感じで、一色の品はなく、鼠、白、黒が腰の辺りから入り混じっている感じ。これを侘びていると見るか、華やかと見るかは、人それぞれの感性かも知れませんが、私は地味に覚えました。我が家にある赤楽茶碗(本家のではありませんが)のどれとも違う感じで、独特と言えば独特?器形は、黒茶碗に三角の品が一つあった他は、筒だの四方だのという変わり型はなく、半筒と呼んでいいかもしれないものは幾つかありましたが、要するに殆どが、いわゆる楽茶碗形。個々は勿論違いがあるのですが、楽茶碗は難しいものです、会場にずらりと並ぶと、みんな同じに見えてくる。そこが個性なのかもしれませんが。水指二点は、一つは巨大すぎるように思え、もう一つも正直、あまり感心せず、やはり楽は茶碗以外は守備範囲でないのかもしれません。
私が行った時点で、二十六点が予約されていました。抽選で販売するそうで、一点に何人申し込みがあったか不明ですし、値段も表示されていないので判りませんが、多分、0が六つはつくでしょう。最初の数字が1で済むのかどうか疑問です。
萍亭主