近代の数寄者と茶道具商について書いている途中ですが、今日は少し別の話を。

 この前の火曜に放送された「何でも鑑定団」をビデオで見たのですが、九代大樋長左衛門の黒楽、飴楽一双の茶碗が出品されました。表千家十三代家元惺斎宗匠の箱書で、つまり昭和12年より前のもの、長左衛門が三十代前半の作ということになります。一見しても偽物という感じは全くなく、良い物のようで、出品者の希望価格は百万円とのこと。少々高く感じますが、まあ、この番組は、茶道具に割と高値をつけるし、ピタリくらいの評価かなと思ったら、中島誠之助氏がつけた評価は、三百万円!えっとびっくりしました。茶道具は、このところ、暴落を続けていて、私の実感では、大樋焼も随分安くなっていると思っていたからです。たしかに以前は九代長左衛門の茶碗は高価で、知人が鵬雲斎箱の黒茶碗を、八十万かで手に入れたと聞いたことがありました。九代長左衛門の茶碗は、黒が飴よりも高く、また、大樋の印の品より、長左衛門の印の品の方が高いというのが相場だと聞きます。割と数があるので、茶道具屋や市でよく見かけるのですが、飴釉の茶碗など、今年の正札市で、十万円台で出ているものもありました。黒釉でも、業者間では、箱書がないものなら二十万円を切る値で取引されているそうです。業者は、それに利をつけるわけですから、売値はもう少し高いでしょうが、それでも三十万越えは少ないように思うのが私の実感です。だから、箱書付きでも三百万円には仰天したのですが、決して中島氏の付けた値が不当だとか、現実的でないというわけではありません。骨董、美術品の価値というものは、個体のそれぞれで違うのが当然で、世界に二つと同じものはないわけです。この茶碗は大変な傑作なのでしょうし(大写しを見て、私もそう感じました)、一つしかない美術品として、価値は、この位は十分あるとして、中島氏は値を付けられたのでしょう。

 道具の値ということに関して、ああ、これは名言だと思った言葉があります。「品物の値の高いか、安いかは、買う人の懐具合で決まるんだよ」」。特に、美術骨董の世界では、そう言えるかもしれません。この三百万の茶碗も、懐が豊かで、欲しい人にとっては、妥当な値でしょうし、例えば裏千家に凝り固まってる茶人なら「表千家の箱じゃ使えないから」と、十万でも要らないというでしょう。さてさて、道具の価値とは難しいものです。よく「こんなガラクタが?」と、自分の興味のない世界の品物の値段に驚く例がありますが、茶の湯の世界に無縁の人は、三百万の茶碗に「そういう世界なのか」と納得するのか、「馬鹿らしい」と思うのか、これも人さまざまでしょう。ちなみに、前述の名言は、たしか中島誠之助氏の著書で読んだもので、ただし中島氏の発言ではなく、中島氏が客から言われた言葉だったと思います。

 明後日までブログを休みます。

   萍亭主