先回の続きですが、今年の茶の湯文化学会総会での研究発表は、「新発見の利休の手紙」の他は、次の三つでした。

 二番目は、早稲田大学大学院の方による「南方録」に関する研究で、今や「南方録」は、立花実山による創作であるというのが定説になっていますが、その実山の執筆に影響を与えたものという研究です。「南方録」の滅後の巻の冒頭部分を起点にしての研究で、利休百回忌を迎え、利休回顧を訴えようとして実山が書いた文章は、実山の参禅の師である曹洞宗僧侶、卍山道白の影響があるというのです。当時、曹洞宗の内部は混乱があり、それを三百五十年忌を迎えようとする宗祖道元禅師の教えに戻そうという、宗統復古運動が起こっており、卍山はその中心人物でした。「南方録」の利休三回忌の描写や、実山が「梵字艸」という著述で描いた道元の祥月命日の供養文と、卍山が「宗統復古志」で描いた道元忌(永平忌)の描写には、共通の表現、用語が見られて、その影響は明らかであるというわけです。これについて、中村会長から、主旨には賛同だが、実例として用語だけを挙げるのはどうか。それら用語は当時一般にも使用された普遍的な語も多く、その共通性だけで論じるのは少し弱い、という指摘がありました。

 次は、米子工業高専の先生の発表で「利休茶道具の美しさの規則性について」という題で、園城寺の花入と泪の茶杓の画像を、美の法則であるとされる黄金比コンパスで計測したところ、要所要所の部分が、全て黄金比になっており、また、南方録などで説かれる曲尺割(カネワリ)の、三つオリカネは、黄金比と殆ど狂いなく一致するという研究で、難しすぎて完全に理解は出来ないものの、名人は肉眼で美の法則を掴めたんだろうなという感想と、研究のアプローチの独特さが面白かった。園城寺の花入の割れ目は有名で、これに関しては種々伝説がありますが、割ったのではなく、割れていた竹を使って作ったものだろうという御見解でした。

 最後は、群馬県立女子大准教授の方の「維新前後における大名道具の流出と保存について」で、肥後細川家の道具の移動を、細川家関係、熊本県所有の文書から、細かく例を挙げて研究したもので、大名道具の流出は、幕府の権威失墜がきっかけで江戸藩邸の機能縮小から流出が始まり、売却だけでなく、家臣へ一時預けるとか、重要品は選別保存するとかの形態があり、廃藩置県で一層流出は強まるが、家臣から返却の事例もあるなどのことを細かく考証していて、ただ、各大名家によって、流出の形態は一様でないとのこと。労作とは感じましたが、申し訳ありませんが私などには「それが何なのさ」という感じの、猫に小判的研究。

 まあ、本当に学者は、種々の研究をするものと敬服すると共に、一応ご紹介したものの、私の頭脳の理解不足、至らなさから、間違いや誤解、説明不足も多いでしょう。あらかじめ、お詫びしておきます。

   萍亭主